時代に関係なく、セレブカップルは常に世間を魅了し続けてきた。そこで、50年代初期を一世風靡したローレン・バコール&ハンフリー・ボガート(彼が不慮の死を遂げるまで)から、結婚式後も世界中の注目をほしいままにするハリー王子とメーガン妃に至るまで、1950年から現代までの各年を象徴するカップルが繰り広げたロマンスを一挙公開。
1950年:ハンフリー・ボガート&ローレン・バコール
ハリウッド史上もっともアイコン的な存在だったカップルの筆頭格と言えるのが、1944年に公開された映画『脱出』の撮影を通じて運命の出会いを果たしたボギーとバコール。ふたりは翌年に夫婦となり、その後、『キー・ラーゴ』、『潜行者』、『三つ数えろ』の3本の映画で共演したものの、ハンフリーは1957年にがんが原因で帰らぬ人となった。
1951年:フランク・シナトラ&エヴァ・ガードナー
ワイルドな火遊びとして始まったフランクとエヴァの恋愛が本気モードに突入し、ふたりは晴れて夫婦になったものの、続いたのは(フランクの最初の妻が彼に離婚を申請した)1951年から(ふたりが破局を正式に発表した)1953年まで。ちなみに、1957年に離婚が成立するまで、フランクとエヴァには共に愛人がいたという。
1952年:トニー・カーティス&ジャネット・リー
ジャネットと自身について、「ハリウッドのゴールデンカップル」と自称したトニー。女優のジェイミー・リー・カーティスの両親でもあるふたりは駆け落ちして世間の度肝を抜いたものの、夫婦生活は10年続いた。1993年に出版された自伝の中で、トニーは「自分はジャネットに心底尽くしていたが、自分に対する彼女のときめきは失われつつあった」と振り返っている。「やがて、自分がどんな人間であろうと、ジャネットの目から見れば不十分な存在だったと気づいた。自分は深く傷つき、心がズタズタになった」。ちなみに離婚成立後、トニーは5回結婚した。
1953年:マリリン・モンロー&ジョー・ディマジオ
1952年当時、すでにAリストセレブだったマリリンは、野球選手を引退したジョー(ニューヨークヤンキースの元選手)と交際をスタート。ふたりは1954年初めに結婚したものの、秋には雲行きが怪しくなった。報道によれば、『七年目の浮気』で有名な、地下鉄の通気口の上に立つマリリンのスカートが吹かれてめくれるシーンの写真に、ジョーが激怒したと伝えられている他、彼には暴力癖があったとも。ふたりの離婚は1955年に成立した。
1954年:オードリー・ヘップバーン&メル・ファーラー
ブロードウェイで共演してから8カ月が経ったタイミングでオードリーとメルはスイスで結婚し、1956年には、映画化された『戦争と平和』で再び共演した。14年続いた結婚生活で、ふたりはショーン・ヘップバーン・ファーラーを授かった。
1955年:デビー・レイノルズ&エディ・フィッシャー
当時、デビーは大ヒットミュージカルの『雨に唄えば』でアイドル的存在となっており、エディは歌手兼俳優として大人気だった。ふたりは1955年に結婚したものの、エディとエリザベス・テイラーとの開けっ広げな不倫が原因で1959年に離婚した。
1956年:グレース・ケリー&レーニエ3世
きらびやかなハリウッド生活を投げ打ち、「世紀の結婚式」として呼び声の高い式を挙げ、モナコのレーニエ3世と夫婦になったグレースは当時26歳だった。グレースがまとった豪華絢爛なウエディングドレスは、「MGM」のヘレン・ローズがデザインを手掛けたもの。真珠が散りばめられた祈とう書はドレスの一部だったとか。
1957年:ナタリー・ウッド&ロバート・ワグナー
18歳のナタリーと26歳のロバートは、映画スタジオがお膳立てしたデートからほどなくして、1957年に夫婦となった。4年後に破局を迎えるも、後に和解して1972年に再婚。ところが、1981年に発生した謎の水難事故により、ナタリーは早すぎる非業の死を遂げた。そして2018年2月、ロバートは重要参考人として浮上した。
1958年:ジョーン・クロフォード&アルフレッド・スティール
この世に、四度目の正直なんて言う言葉は存在するのだろうか? というのも、女優のジョーンはペプシコーラで知られる、ペプシコ社のCEOを務めていたアルフレッドと4回目となる結婚式を1955年にラスベガスで挙げたから。1958年に撮影されたモノクロ写真を見る限り、ふたりはカリフォルニアでのゴージャスな生活を満喫していた様子。ところが翌年、アルフレッドは心臓発作を起こして死去してしまう。ジョーンの長年のライバルとされてきたベティ・デイヴィスは、1962年に公開され、ジョーンも出演した『何がジェーンに起こったか?』の撮影期間中、彼女の楽屋にあえてコーラの自動販売機を設置し、ジョーンに嫌がらせをしたとか。
1959年:エリザベス・テイラー&エディ・フィッシャー
エディはデビー・レイノルズという妻がいるにも関わらず、3人目の夫であるマイク・トッドの喪に服している最中のエリザベスと不倫関係に陥った。デビーとの離婚が成立した後の1959年にエディとエリザベスは夫婦となるも、1964年にあえなく離婚。
1960年:マーロン・ブランド&モヴィータ・カスタネダ
メキシコ系アメリカ人の女優、マリア・モヴィータ・カスタネダがマーロンと出会ったのは1950年代後期。ふたりは1960年に結婚し、2人の子供を授かった。ところが1962年、ふたりの間に燃え盛った炎は突然消えることに。というのも、モヴィータが1935年に出演した映画がリメイクされている真っ最中、マーロンは共演者のタリタ・テリピアと恋に落ちたから。
1961年:ジャクリーン&ジョン・F・ケネディ
1961年1月20日、ジョンとジャッキーはアメリカのプロムキングとクイーンの座(つまり、大統領とファーストレディ)に輝いた。ふたりが出会ったのは、その10年近く前に開かれたディナーパーティーで、共通の友人に紹介されたときのこと。その後まもなく、ふたりは結婚。若々しく、スタイリッシュ、華やかさ(ついでに多少のスキャンダル)をホワイトハウスにもたらしたふたりの夫婦生活は、1963年11月に発生した暗殺の瞬間まで続いた。
1962年:レナ・ホーン&レニー・ヘイトン
レナとレニーはパーフェクトなカップルだった。女優兼シンガーとして圧倒的な存在感を見せつけたレナと、大手ハリウッドスタジオで音楽ディレクターを務める、受賞歴のあるレニー。レニーはレナの音楽ディレクターとなり、1962年に『Lena on the Blue Side(原題)』と『Lena…Lovely and Alive(原題)』というタイトルの2枚のアルバムをリリースした。
ところが、実情は世間のイメージと異なっていた。ふたりは、1960年代初期における異人種カップルならではの問題を抱えていた。1980年5月号の『エボニー』誌で、レナは「そもそも、レニーと結婚したのは彼を愛していたからではないことを知ってほしい。彼は音楽に造詣が深く、自分は歌を学ばなければいけないとわかっていたから、彼を尊敬していた。キャリアを成功させるには、白人と関わるしかないという冷めた見方でいたの」と告白した。とはいえ、「やがて彼への深い愛が芽生えた。ふたを開けたら、私たちの結婚は完璧なものだった」とも語った。
1963年:アン・バンクロフト&メル・ブルックス
『卒業』の中でロビンソン夫人を演じたアンは、イケメンのダスティン・ホフマンを誘惑した。そんなアンの恋愛は、実生活でもかなりドラマチックだった。コメディアンの巨匠であるメルにアンが出会った1961年当時、メルには妻がいた。それから1年が経ち、女優のフローレンス・バウムと晴れて離婚が成立。1963年、ふたりはすでに深く愛し合うステディなカップルとなっており、アンが『奇跡の人』に出演してアカデミー主演女優賞を受賞したことを共に祝福していた。ハリウッドきってのおしどりカップルは、その後なんと41年もの歳月を過ごしたものの、2005年にアンが亡くなり、夫婦生活にピリオドが打たれた。
1964年:エリザベス・テイラー&リチャード・バートン
エリザベス・テイラーとエディ・フィッシャーが離婚したのは前述の通り。その原因となったのは、エリザベスが『クレオパトラ』の撮影中に俳優のリチャード・バートンと運命の出会いを果たしたから。ふたりは1962年ころに交際を始め、1964年、エディとエリザベスの離婚が成立してわずか9日目に夫婦となった。
1965年:ソニー&シェール
1965年、ソニーとシェールは真実の愛の賛歌ともいえる『I Got You Babe』をリリース。同曲はビルボードチャートの1位を獲得した。
1966年:キャサリン・ヘプバーン&スペンサー・トレイシー
このカップルに関しては多少の異論が出るかもしれない。なにしろ、スペンサーはキャサリンと一緒になるために離婚をしなかったから。26年近く、ふたりは不倫を続けていた。そうはいっても、映画史に残る数々の古典作品のスクリーンでふたりが繰り広げたロマンスを見る限り、彼らはもっとも有名なカップルとして数えられることに間違いはない。スペンサーは1967年に亡くなったが、ふたりが最後に共演し、同年に公開された『招かれざる客』は名作映画であることは間違いない。
1967年:ポール・ニューマン&ジョアン・ウッドワード
ポールとジョアンが育んだ(ポールが亡くなるまでの)50年におよぶ愛の軌跡は、私たちすべてが目指すカップルゴールと言える。妻一筋であることについて質問されたとき、「家にはステーキがあるのに、なぜわざわざ外にハンバーガーを食べに行く必要があるのか?」と答えたことはあまりにも有名。ちなみに、1958年、『ザ・スリー・フェイスズ・オブ・イブ』に出演したジョアンは見事初のアカデミー主演女優賞に輝いた。
1968年:ジュリー・アンドリュース&ブレイク・エドワーズ
ハリウッドの中でもとりわけ長続きしたカップルとして名を連ねるのが、ジュリーとブレイク。1968年、ジュリーはブレイクが監督を務めた『暁の出撃』に主演した(ちなみに、ブレイクは『ティファニーで朝食を』で名声を築き、ジュリーは『サウンド・オブ・ミュージック』でスターの座を得た)。その翌年、ふたりは晴れて夫婦となった。
1969年:オノ・ヨーコ&ジョン・レノン
自らのロマンスをベースにアートを生み出し、平和を願ってのベッドインパフォーマンスを通じ、ベトナム戦争に抗議したふたり。ハネムーン中、ジョンとヨーコはアムステルダムで、続いてモントリオールで非暴力的な抗議活動を展開した。