「憧れのパリジェンヌ!」という幻想は、どこから来たのか考えている。
私はいつから、なぜ、「パリジェンヌ」を素敵だと思うようになったのだろう。
いったい誰が、「パリジェンヌは素敵だ!」と私に教えた?
フランス映画やファッション雑誌。
特集される「パリジェンヌ」の紹介文には、必ずといってよいほど「男性」がタグ付けられていることに気がついた。
○○のパートナー、○○のミューズ…。
「素敵なパリジェンヌ」を創っているのは、もしかして「彼ら」?
「彼ら」を「パリジェンヌ・メーカー」と名付けることにする。そのうちのひとりは、映画監督のロジェ・ヴァディム(1928-2000)。
ブリジット・バルドー(1934-)の最初の夫だ。
(画像)左からヴァディムとバルドー
「パリジェンヌ」から想起されるイメージの最大公約数、ベン図の最も濃い部分は、ブリジット・バルドーだと思っている。
パリに生まれ、裕福な家庭に育ち、クラシック・バレエで鍛えたスタイルを際立たせるファッション・センス、子どものような無邪気さと猫のような気まぐれさ、恋愛体質で男性たちを振り回す小悪魔、性的に解放されているが下品すぎず、富や名声に執着しない自由な女性。
そんなバルドーのイメージは、ヴァディムの監督デビュー作『素直な悪女』(1956)によるところが大きい。
(画像)バルドー。1955年
原題は『Et Dieu…créa la femme(そして神は…女を創り給うた)』。
なかなかヒット作品に恵まれなかったバルドーをスターにしようと、実際に起こった事件を元にヴァディムが脚本を書き下ろしたという。
世界的に大ヒットしたこの作品で「ヴァディムは、バルドーを創り給うた」のだ。
バルドーが本作共演者のジャン=ルイ・トランティニャンと恋に落ちてヴァディムの元を去るというスキャンダルまで含めて、完璧に「パリジェンヌ」なエピソードだ。
(画像)『素直な悪女』より。左がトランティニャン
バルドーと別れたヴァディムはデンマークのモデル、アネットと結婚し、自身の監督作品で女優デビューさせる。
その後、アネットも別の男性と恋に落ちてヴァディムの元を去るのだが、彼らが正式に離婚する前に、ヴァディムはカトリーヌ・ドヌーヴと交際を始める。
(画像)アネットとヴァディム
ドヌーヴはヴァディムとの間に息子・クリスチャンを産み、ヴァディムの作品に出演し、別の男性と恋に落ちてヴァディムの元を去った。ドヌーヴの次はジェーン・フォンダが同じパターンを辿る。
(画像)カトリーヌ・ドヌーヴとヴァディム。1961年
アネット、ドヌーヴ、フォンダは、ヴァディムと交際当時、「バルドーにそっくり」だった。
顔立ちではなく、髪型やメイク、ファッションを寄せたレプリカント。
ヴァディムは、ジェネリック・バルドーを創り給うたのか?
次から次へ、金髪美女たちと交際するヴァディムは「プレイボーイ」として、男性たちから羨望の眼差しを浴びたという。
だが、21世紀にアップデートされた眼鏡をかけて、ヴァディムとバルドーの回想録をそれぞれ読み比べると、違う景色が見えてくる。
(画像)フォンダとヴァディム
バルドーがヴァディムと出会ったのは15歳のとき。
当時21歳のヴァディムは、映画監督マルク・アレグレの助手だった。
ヴァディムの回想録『我が妻バルドー、ドヌーヴ、J・フォンダ』(以降『我が妻』)によると、初対面で「ブリジットはいかにも自然でまわりの人まで誘いこむ独特の笑い声を上げ、私(古舘注:ヴァディム)はたちまちそれに惹きつけられた」という。
(画像)バルドーとヴァディム。1956年
バルドーの自伝『イニシャルはBB』(以降『BB』)で、彼女も同じ場面を回想している。
ヴァディムは一言も話さなかったが、野生の狼のような目で私を見つめていた。
私は彼が怖くなり、彼に引きつけられ、そのうち、なにがなんだかわからなくなってしまった。〜『BB』より〜
バルドーはこうも書いている。
彼は(略)優しく、そしてハンサムだった。
これまで一度も見たことがないような素敵な男性だった。
(略)もっとも、彼の魅力は母にはそれほど効果を及ぼさなかったようで(略)母は給仕に銀器の数を数えるようこっそり命令していた。〜『BB』より〜
(画像)1950年頃のバルドー
15歳の少女にとって「魅力的な」21歳の男性は、30代後半だったバルドーの母親には、銀食器を盗みかねないジャン・ヴァルジャン(改心前)でしかなかった。
私が15歳だったとき、大学生と「付き合っている」同級生がいて、彼女は「大人」で、かっこいいと思っていた。
大学生になり、塾講師をしている同級生が中学3年生の生徒と付き合っていると聞いて、「なにそれ、キモい」と感じた。
「大人」になると分かる。
15歳は、「子ども」だ。
(画像)1953年頃のバルドー。実家にて
アレグレの映画に出演するバルドーの演技指導をヴァディムが行うことになり、2人は親密になってゆく。
「あなたはソフィーみたいだ」と私は言った。
ソフィーというのは私がまだ少年の頃に書いた小説のヒロインで、ブリジットの姉妹といってもいいくらい彼女に似ていた。〜『我が妻』より〜
(画像)バルドー。1956年
「えっ! なんてロマンティック…私たちが出会ったのは運命だったのね!」
と、15歳なら騙されるだろう。
約40歳の私は、こう思う。
「なにそれ、キモい」
バルドーは、思春期を十分に過ごして自己を確立する前に、ヴァディムの「小説」に取り込まれてしまったのではないか。
ヴァディムは『我が妻』で、15歳のバルドーがいかに性的な魅力を放っていたか書き立てているが、バルドーは当時の自分をこう回想している。
私はショーウインドーのガラスに映った自分の姿を見た。
なんてこと。
(略)ひどく子供っぽく見えた。
(略)私はほんとうに年相応にしか見えなかった。〜『BB』より〜
バルドーの両親はこの「恋愛」に大反対し、彼女をイギリスの寄宿学校へ入れようとした。
バルドーは自殺未遂をしてイギリス行きを免れると、両親の厳しい監視をかいくぐり、ヴァディムと交際を続けた。
そして、フランスの成人年齢である18歳になり、両親の許しを得た2人はついに結婚する。
小説なら「めでたしめでたし」で終わるところだが、ここからヴァディムの「筋書き」は狂い始める。
(画像)結婚式。1952年
ヴァディムによると、バルドーは四六時中一緒にいないと不安になる「子ども同様」の愛されたがり屋で、仕事で家を空けることの多いヴァディムと喧嘩が絶えなかったという。
結婚から4年、バルドーを世界的なスターにした『素直な悪女』の撮影時点で、彼らの結婚生活は実質的に破綻していた。
そしてバルドーは、共演者のトランティニャンと恋に落ちる。
(画像)ヴァディムとバルドー。1957年
ヴァディムが『素直な悪女』で作り出したバルドーのイメージは、離別後も彼女を呪縛し続けた。『BB』を読むと、バルドーは感性が鋭く聡明で、かなり保守的な人物だと分かる。
後に同じく女優となる4歳下の妹ミジャヌーと比べ、自分は醜いと感じていた自己評価の低い少女は、「そんな自分を愛してくれる」ヴァディムに依存し、その後も同じ恋愛パターンを繰り返す。
男性に性的魅力を評価されなくても、バルドー自身が自分の価値を認められる「大人」になる機会は、ヴァディムによって奪われたのだ。
(画像)妹ミジャヌー・バルドー
ヴァディムが同じ恋愛パターンを繰り返すのも、結局は彼も「子ども」だからだ。
バルドーと別れ、再婚したアネットとの関係も実質的に破綻した32歳のヴァディムは、17歳のドヌーヴと出会う。
ドヌーヴは、2歳年上の姉で、「すでに評判の高い若い女優で、フランスのキャサリン・ヘップバーンと呼ばれていた(『我が妻』)」フランソワーズ・ドルレアックとディスコで踊っていた。
(画像)1960年ころのドヌーヴ
男たちはもっぱら、その名も高く魅力的なフランソワーズを眺めていたが、私の眼を惹きつけたのは妹のカトリーヌのほうだった。
(略)姉よりも妹のほうが美しいと思ったのは私一人だった。〜『我が妻』より〜
「さすがプレイボーイは、女を見る目がある!」と解釈するか、「また姉妹のうちで自己評価低そうな方を選んだんか…(そして未成年。キモい)」と嘆息するか。
(画像)左からドヌーヴ、姉ドルレアック
しかし、ドヌーヴはバルドーと違い、「子ども」ではなかった。
ヴァディムによると、
私と知り合ったときカトリーヌは、二つの基本的な野心を胸に秘めていた。
母親になることと、女優になることである。
(古舘注:その野心が両方叶って)安心した今、彼女の生来の性格が発展しようとしていた。
彼女は生まれつき支配するべくできていたのだ。〜『我が妻』より〜
(画像)ドヌーヴ。1965年ころ
では、その「支配」が実際どのようなものだったかというと、ドヌーヴの妊娠中、「12時ごろ帰る」と飲みに行き、結局帰りが朝になったら、彼女に「酔ってるのね」と嫌味を言われたとか、だらしなさや嘘をつくことを非難される、といったこと。
ヴァディムに見えているのは自分だけ。
感情のままに行動し、「母親」に反抗しつつ、依存している「子ども」。
自分の思い通りにならないと、「相手が悪い」とヘソを曲げ、水が低きに流れるように、新しい相手を求める。
反省しないから、同じパターンを繰り返し、それがなぜだかいつまでも分からない。
女性たちが別の男と恋に落ちて自分の元を去っていったと被害者ぶるが、彼女たちは気づいただけだろう。
この男には、自己愛しかないことに。
(画像)左からドヌーヴ、生まれたばかりの息子クリスティアン、ヴァディム。1963年
神は自らに似せて人間を創り給うた。
ヴァディムも、自らに似せて「バルドー」を創り給うた。
バルドーが体現した「パリジェンヌ」のイメージは、ヴァディムの性質を女体化したものなのだ。
だから、男性たちは「バルドー=パリジェンヌ」に夢中になり、ヴァディムを讃える。
それをみた女性たちは、「パリジェンヌ=多くの男に愛される素敵な女性」というメッセージを受け取る。
シス・ジェンダー&ヘテロ・セクシュアル前提のロマンティック・ラブ・イデオロギーの呪いだ!
(画像)『素直な悪女』撮影現場でバルドーを演出するヴァディム
アネット、ドヌーヴ、フォンダ、フォンダの後に結婚したカトリーヌ・シュナイダーとの間にそれぞれ1子ずつ計4人の子どもを持ったヴァディムは、アルファ・オスとして猿ならば尊敬されたことだろう。
最後に結婚したマリー=クリスティーヌ・バローとは、ヴァディムが2000年に72歳で亡くなるまで10年間添い遂げた。
ついにヴァディムも「大人」になり、永続的な関係性を築けるようになった?
それとも、単なる老化?
ヴァディムが創り出した「パリジェンヌ」のイメージも、彼と共に20世紀で滅びればよかったのに。
(画像)2000年。ヴァディムの葬儀に出席するバルドー(左)とフォンダ
Research: Miyuki Hosoya