ダイアナ元妃の死後、必ず名前が挙がるのが、彼女と共にパリの自動車事故で亡くなった最後の恋人、ドディ・アルファイド。まだ交際して間もない2人だったけれど、「ドディはダイアナ元妃にプロポーズする予定だったのでは」など、当時さまざまな憶測が飛び交った。ダイアナ元妃のハートを射止めたドディとは、一体どんな人物だったのか、彼の素顔に迫る。
1955年にエジプト・アレクサンドリアで生まれたドディは五人兄弟の長男。スイスの名門校ル・ロゼやウィリアム王子とハリー王子も通ったイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業している。
父はイギリスの老舗百貨店ハロッズの元経営者モハメド・アルファイドで、サッカーチーム・フラムFCとダイアナ元妃とドディが最後に宿泊したホテル・リッツ・パリの元オーナー。モハメドの最初の妻でドディの母サミラ・カジョギは、サウジアラビア国王アブドゥルアズィーズ1世の担当医を務めた父親と悪名高い武器商人アドナン・カショギを兄にもつ。
『インディペンデント』紙によると、ドディは子供の頃、パリの実家やフランス・リビエラ、エジプトの首都カイロ、祖父母の住むエジプト・アレクサンドリアを行き来しながら生活。15歳の時にロンドンに移住し「スポーツカーと美しい女性に目がないハンサムな男性」としてロンドンのパーティーシーンで一躍有名になったのだそう。恋多き男ドディは、ジュリア・ロバーツ、ブルック・シールズ、ウィノナ・ライダー、ナンシー・シナトラといった名だたるスターたちと恋の噂に。1986年にモデルのスーザン・グレガードと結婚するも、わずか8カ月で離婚を決意した。
ロンドンのアラブ首長国連邦空軍基地で下級士官として働いた後、ドティは映画業界に飛び込み、第54回アカデミー賞で作品賞を受賞した映画『炎のランナー(1981年)』とデミ・ムーア主演の映画『スカーレット・レター(1995年)』の製作総指揮を担当。2009年に『ザ・ガーディアン』紙が掲載した記事によると、「有名になることを夢見る裕福なプレイボーイ」のドディは、友人にも「『ピープル』誌の表紙に載るくらい、一気に僕のことを有名にしてくれる女性はいないかな」と本音を漏らしていたという。そしてその願いは1997年、ダイアナ元妃によって叶うのだった。
プレイボーイとして知られる一方で、静かで繊細な面も持っていたと『ヴァニティ・フェア』誌のライター、ドミニク・ダンは「周りがなんて言おうと、彼はとてもいい人だった。穏やかで優しい印象があったよ」と語っている。
ドディとダイアナ元妃の出会いは1986年、ウィンザーで開催されたポロの試合がきっかけと『インディペンデント』紙は報じた。その日は、チャールズ皇太子のチームとドディのチームの対戦試合。まだチャールズ皇太子と婚姻関係にあったダイアナ元妃は、夫の応援に駆けつけたのだそう。
1997年の夏、ドディに誘われダイアナ元妃は息子たちを連れて南仏を訪問。ドディの所有する豪華ヨット「ジョニカル」でクルージングを楽しんでいるうちに自然と親密な関係に。
それからダイアナは、2年間交際した外科医ハスナット・カーンに別れを告げ、ドディのもとへと駆けつけた。ハスナットに別れの背景を聞かれても、好きな人ができたことを否定したという。でも、それから数週間後にドディとの熱愛が報道されたのだった。
子供たちを預け、再びドディのもとに訪れたダイアナはドディと地中海クルーズを満喫。その時、船上に撮影された2人のキス現場は、世界中のトップニュースとして取り上げられた。
2人の交際は短かったものの、億万長者のプレイボーイとダイアナ元妃のロマンスは大スキャンダルとして連日メディアを賑わせた。さらにドディの婚約相手と名乗るケリー・フィッシャーが、敏腕弁護士グロリア・アルレッドと涙ながらに記者会見を開き、泥沼化。『LAタイムズ』紙は、ケリーが婚約指輪を証拠に、結婚のためにモデル業を犠牲にしたとして50万ドルの慰謝料をドディに要求したと明かした。
この騒動に対し、アルファイド家は「イギリス人とアメリカ人の良識ある判断にお任せします」とコメント。事態が一転するダイアナ元妃とドディの事故発生後、ケリーは「アルファイド家に起きた悲劇とそれに伴う計り知れない悲しみに深い敬意を示す」として、告訴を取り下げたと『AP通信』は伝えた。
ダイアナ元妃の母国、イギリスでもドディとの交際に反対する人が多かったようで、トニー・ブレア元首相は2010年に出版した回顧録に「2人のロマンスにはいろいろと問題があると直接伝えた」と記されている。ダイアナ元妃の元執事ポール・バレルも2007年、テレビ局「BBC」のインタビューで次のように胸の内を語った。「ドディが元妃の運命の人だとは信じがたい。(元交際相手の医師)ハスナット・カーンとの別れを癒すための“リバウンド恋愛”では?」。
写真:ダイアナ元妃の葬儀に出席した当時のトニー・ブレア首相夫妻
パリで1997年8月31日(現地時間)に交通事故で亡くなったドディの葬儀は、アルファイド家によってロンドンの中心部にあるモスクで行われた。追悼の気持ちを捧げる人々が大勢駆けつけ、ドディの棺桶は一時的にロンドンの墓地に葬られた後、サリー州にある父モハメドの所有する土地に埋葬。
写真:1997年8月31日(現地時間) 交通事故に遭う直前にパリのリッツ・ホテルから出ていくダイアナ元妃とドディ・アルファイド
父モハメドは2005年、ハロッズにドディとダイアナ元妃を永遠に祈念するためのブロンズ像を設置。ところが2010年、ハロッズはカタール・ホールディングに15億ポンドで買収され、モハメドはオーナーの座から退いた。
ダイアナ元妃は生家オルソープハウスにあるお墓で、安らかに眠っている。2017年7月1日、ダイアナ元妃の誕生日にはウィリアム王子とハリー王子が改めて亡き母を弔うために再献身式を行い、揃って出席したという。
Photo: Getty Images, KCS/AFLO, Reuters/AFLO Translation: Reiko Kuwabara From: Town&Country
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