2020年に「出会いがない」と叫んだ人へ。パンデミック時代にマッチングアプリでパートナーと出会うための心構え3
2020年、コロナ禍で非接触に「出会い」を探すことができるマッチングアプリはこれまで以上に注目度を増したけれど、本当に恋人同士のような関係に発展することってあるの? 作家・鈴木涼美さんが自身の経験をもとに、これからアプリでパートナー探しをしようとする人にアドバイス。
パンデミックな年の出会い事情は?
未来は予測不可能と言えど、これほど不測の事態ばかりの年はなかなかない。春先に初めて聞いたウイルスの名前は、いまや長年人を苦しませてきた疾患以上に口にされるようになり、マスクにアルコール消毒、ズーム会議にソーシャル・ディスタンスなど新しい常識が浸透し、ほとんど生まれて初めて、移動の自由が極端に制限される生活を送った人も多い。
その代わり、これまで一定より下の世代で徐々に浸透していたオンラインの出会い、具体的にはSNSでのナンパやマッチング・アプリは一気に注目を浴びる運びとなった。出会いのきっかけをネット上に求めるだけでなく、その後の交流もオンラインで進み、挙句には一度も実際に顔を付き合わせることなく、恋人同士のような関係に発展したという事例も稀に聞く。
これは、偶発的であれ恣意的であれ、少なくとも現実世界ですれ違ったり顔を見合わせることで始まると考えられていた恋愛という概念そのものが大きく揺らぐ変化であるように思う。もちろん、そのような前提の上で恋愛ゲームを楽しんできた大人世代は半信半疑でもある。肉体的接触や、せめて息がかかる距離での会話なしに、恋が始まるなんていうことが本当にあるのか。そしてそれはマッチング・アプリなどで積極的に拾いに行ける類のものなのか。留意すべきことはどんなことなのか。
恋の前提がひっくり返りつつある今、新常識となりそうなツールは旧恋愛時代の大人たちにどんな可能性を持ってきてくれるのか。実際に私自身が4つのマッチング・アプリに同時に無料登録してみたところ、そこに広がる世界は、やはりそれまでの恋愛の常識が通じない、しかしおそらく楽しみ方によっては面白いもののようだった。
【マッチングアプリの心構え①】嘘を楽しむ余裕はあるか
SNSなどと多少連動していたり、身分証の提出が義務付けられている場合はあるのものの、年齢などごくごく基本的な情報以外は、アプリの中で人はなりたい自分になれる。私も登録時はこのプロフィールを考えるのが楽しく、当然「元AV女優のフリーライター」みたいな一気に夢から覚める現実は書かないのだけど、例えばそこで実際の恋人を見つけてあわよくば結婚をしたいと考えている場合、あまり現実と違うことを書いては後々その情報を訂正する一手間がある。魅力的なプロフィールで相手を魅了したいという思いや自分とかけ離れた肩書きを楽しみたいという思いとは、その辺りがジレンマになりそうなものである。
実際に、何人かの男性と突っ込んだ話をしてみたところ、職業を偽っている例はそう多くはないようだったが、それ以外の箇所、たとえば外国籍だった場合に在日期間であるとか、学生時代の留学先、乗っている車など細かいところで簡単に嘘が露見する例はいくつかあった。また、アプリ上の男性と話すと、これまで知り合った女性たちの写真と実物の違いをネタにして話す人が多かったので、嘘とは言わないまでも、事実とは異なる写真が使用されることも多いのであろう。
かつて、ネット上の男女の出会いと言えば、売春の温床になりやすいという印象があり、それは年齢や肩書きが嘘であっても偽りは偽りのままで良いと思える関係だからこそ、不確かな場所に抵抗がなかったという事情がある。ただ、人は恋愛となると兎角「真実」を求めるものだから、アプリの不確かな情報をどう受け止めるか、というのは個人差があるように思う。そして、その不確かさがオンラインでの出会いのハードルとなる場合もきっと多い。
完全に身分を装っている人に当たってしまったらアンラッキーだと考えるしかないが、ちょっとした嘘については、それを楽しむ余裕がないと、おそらくマッチング・アプリでの出会いは向かないように思う。人が嘘をつく時、その背景にあるのは単なる隠し事やコンプレックスではなく、自分が生きたいストーリーがある場合もあり、この嘘が何のためにつかれたのかを考えることは場合によってはその人を知るのに興味深い事実を指し示してくれる。
ちなみに、すでに在日3年目になるとある西洋人弁護士はアプリ上で常に「日本にきてまだ3ヶ月」と自称していたのだが、メッセージで詳しく聞くと、「女性が、それなら私の方が東京に詳しいから教えてあげる、と自信が持てるし、デートのきっかけになる。東京案内を頼まれて、女性がどこに連れていくのかも興味がある」と話していた。
【マッチングアプリの心構え②】機会の喪失への腹づもりはあるか
現在大手のマッチング・アプリを開くと、ほとんど無限に登録男性を見ていることができるし、その登録者数も日々伸びているので、「一番いい人」を決めるには、一日中、毎日アプリを開いて写真をスワイプし続けなくてはならない。私は最初、米国系アプリ2つに登録したのだが、プロフィールの傾向を見ようと思ってとにかくたくさんスワイプしていたら、日が暮れ、疲れ果てた。運命の相手を求めているとしたら「ちょっといいな」と思っても、「もっといい人もいるかも」という気分になり、スワイプがやめられなくなるのではないか。そして実際、「ちょっといいな」は「もっといいな」にいとも簡単に上書きされ続ける。
たとえば4人対4人の飲み会で誰がいいだとか、クラス40人の中で誰が好きだとかいうところから恋人関係への努力が始まる時、人数が限定されていると自分的な「一番いい人」を見つけやすい。世界に目を向けてしまっては、どのあたりで見切りをつけていいのかがわからなくなるから、気軽に恋愛ゲームを楽しみたい場合は、どこの中から1人をピックアップするか、というところから入る方がずっと効率がいい。そしてマッチング・アプリはその人数限定の方法がとてもしづらい。リアルな世界では、1日100人と顔を合わせるのは現実的に困難だが、オンライン上では数時間でできてしまうからだ。
ライクのスワイプが何人でもできるその機能を持つとどうなるかというと、「ちょっといいな」と思う人にとりあえず付箋を貼ってペンディングして、「もっといいな」を探し、気づけば「いいな」の付箋が判別不能なほど多くなる。こうなってくると、メッセージが来てもどの人からきたのかがわからないし、そもそもそんな大量に読んだり返信したりができないので、「ちょっといいな」が「すごくいい」に変わらないまま、ライクを送りまくって終わることになる。私は実際、アプリに表示される新着メッセージのお知らせが50を超えたあたりで見返すのも面倒になり、そのアプリは消してしまうということが続いた。
アプリで何人もとデートして、そのうち1人とは一応しっかりした交際にまで進んだ人は、ライクのスワイプを一日1人に限定して利用していると言っていた。そうすると、一回スワイプするのも、「ちょっといいな」と思ってもスルーするのも本人は真剣に取り組まなければいけなくなる。
結局、リアルな対面での恋愛でも、恋愛がトントン拍子に進んだり、結婚を掴みやすい人というのは、「もっといい人がいるかもしれない」という邪な心を捨てられる人であること、切り捨てるものをさっと切り捨てられる人である。あれもいい、これもいい、これもいいけどもっといいのがあるかも、といつまでも最後の1人を決められない人は明らかにマッチング・アプリに向かないが、そもそも恋愛自体もうまくいかない人が多いのだ。
出会いだけならばまだしも、今年は多くの人がそれを余儀なくされたように、実際に会うまでにオンラインで仲を深めようとすれば、当然、対面の恋愛に慣れた人にとってそのバーチャル感はどうにも馴染めないような気になる。メッセージや、たとえズームなどの通話アプリで会話を進めても、相手が実在するというリアルな手触りを感じられるのか否かは、恋愛が妄想の上に成り立っているという事実に対して、どれくらい覚悟ができているかによるような気がする。
私は、あまりに大量のスワイプをしたせいで3つのアプリを消してしまったので、新しいアプリで5人までに限定してライクのスワイプをしてみたところ、うち2人とはいくつかのメッセージのやりとりが続いた。ただ、写真とちょっとしたプロフィールに対してメッセージを投げていく作業は、空に向かって文字を打っているようで、どうにもリアリティがなく、その分、自分が打つメッセージのリアリティもそれほど重要だと思えなくて、次第におざなりになってしまった。唯一数ヶ月関係が続いたのは、たまたま家が徒歩圏内で、メッセージのやりとりをしてそうそう会って顔を見ることができたラテン系の人だけだった。
実際に人と人があったところで、相手のことなんていうのは本当はわからない。確かに見たり触ったりすることはできるが、どうして彼がそのように見えてそのような形をしているのか、なぜこんな手触りなのか、は相手の言葉をひとまず信じた上で、自分の想像力を働かせるしかない。そして「真実」なんていう耳障りのいい言葉に辿り着く前に始まってしまうのが恋愛である。恋愛関係が、その自分の想像力によって成立するという本来的な事実を受け止める度量が最初からあるならば、オンラインでも関係を紡ぐことはできるだろうし、逆にその事態に一抹の不満を持っていて、恋愛の重要なところは相手の現前性だと無邪気に思ってしまうのであれば、オンラインだろうがリアルだろうが、積極的に恋愛を掴み取っていくのは難しい。
最後に「出会いがなかった」2020年の恋愛人たちへ
相手の言葉の真偽や、見切りのつけどころ、恋愛なんていうものへのリアリスト的対応など、結局マッチング・アプリを「出会いの場」、オンラインを「交際への道」として器用に使用できるか否かは、デジタル化する前から恋愛市場を泳いでいくために必要な技量があるかどうかにかかっている。つまり、すでにパートナーのいる筆者の友人たちや、家族を作っているカップルたちであれば、このディスタンスの時代でも、恋愛を引き寄せることができたのだろうと想像する。
今年は確かに、不特定多数の人が出会う飲み会や、仕事上での新しいつながり、趣味の場での偶然の出会いから、路上や旅先でのナンパなどの数が激減し、「出会いがない」と、何年も前から言い訳のように繰り返している私たちに、さらに真実味のある言い訳ができた。ただし、恋文から卓上電話、そこから携帯電話など、時代の変遷とともに変わっていった恋の始まりを考えれば、出会いの契機の変化こそが問題なのではなく、その言い訳に隠れて、自分の恋を引き寄せる技量のなさを放置しているとも考えられる。
今年は普段より大声で「出会いがない」と叫ぶことができる友人たちは増えた気がするが、場の減少に歯止めがかかった暁に、その人たちが「出会いがいっぱいある」と言い換えられるか、というと微妙で、2021年も2022年もやはり濃度の違う「出会いがない」を呟き続けるような気さえする。