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「おとぎ話のような結婚」から悲劇のエンディングまで。チャールズ皇太子&ダイアナ妃の20年の愛憎ヒストリー

Netflixの人気ドラマ「ザ・クラウン」シーズン4の中心的物語として描かれるダイアナ元妃とチャールズ皇太子の結婚生活。その始まりから終わりまでを年代順に振り返る。US版『ELLE』より。

By ELLE Japan
charles and diana in france
Georges De Keerle//Getty Images

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1977年

sarah spencer
Serge Lemoine//Getty Images

この年、チャールズ皇太子はダイアナと初めて出会う。当時、ダイアナは16歳だった(彼女はチャールズ皇太子より12歳年下)。チャールズ皇太子がダイアナの姉セーラ(写真)と付き合っていたのが2人の出会いのきっかけだ。後年、サラは2人を引き合わせた張本人として、自分を「キューピッド」だと主張している。初めて2人が会ったのはスペンサー家の邸宅オルソープで、チャールズ皇太子がライチョウ狩りに訪れていた時だ。それから4年後の婚約会見で、チャールズ皇太子はダイアナの第一印象について次のように語っている。「彼女はとても陽気で楽しく魅力的な16歳だと思ったのを覚えています。つまり、とても楽しく元気があって、生き生きとしていて、全てを備えていました」

写真/1977年、ポロの試合会場で。ダイアナの姉セーラ・スペンサーとチャールズ皇太子

1980年7月

lady diana
Central Press//Getty Images

最初の出会いから3年後、チャールズとダイアナは共通の友人であるフィリップ・デ・パスの家に滞在していた時に再会。チャールズは、1年前にIRAによって暗殺された大叔父で彼のよき助言者だったマウントバッテン卿の死を悲しんでいた。ダイアナは悲しむチャールズに同情を寄せたという。

ダイアナは2017年のドキュメンタリー映画『Diana: In Her Own Words』で次のように説明している。「彼は恋人と別れ、友人のマウントバッテン卿が殺されたばかりでした 私は彼に会えたら嬉しいと言いました」「私は彼がマウントバッテン卿の話や、別れたガールフレンドの話をしている最中に、『あなたはとても孤独なんでしょうね』と言葉をかけました。そして、『マウントバッテン卿の棺を前に道を歩く姿は悲しそうでした。あなたを支える人が必要です』と伝えました。すると彼は私に急接近してきてキスを始めたのです」

ジョナサン・ディンブルビーが1994年に出版したチャールズ皇太子の公認の伝記『チャールズ皇太子の人生修業』の中で、チャールズ皇太子はフィリップ王配からダイアナとの結婚を迫られたことを明らかにしている。

1981年2月3日

charles and diana at balmoral
Central Press//Getty Images

交際わずか数カ月で、チャールズはウィンザー城の子ども部屋でダイアナにプロポーズをする。ダイアナは1992年に出版された伝記『ダイアナ妃の真実』の中で、著者のアンドリュー・モートンにその時のことについて詳しく語っている。「(チャールズは)『私と結婚してくれませんか』と言ったのですが、私は笑ってしまいました」とダイアナ。「私は『これは冗談だ』と思いました。そして、『ええ、分かったわ』と笑いながら答えましたが、彼は本気だったのです」と振り返った。

ダイアナは当時、自分が有頂天だったとドキュメンタリーの中で回想している。「私は『あなたをとても愛しているわ』と言いました。すると彼は 『愛の意味が何であっても』と返答しました。私はそれが素晴らしいことだと思っていました」と彼女は説明した。「ひどく未熟だった私は、彼が私のことをとても愛してくれていると思ったのです。実際そうでした。彼はのぼせたような顔をしていたのを覚えています。でも、それは本物ではなかったのです」

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1981年2月24日

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チャールズ皇太子とダイアナは婚約を発表し、カップルとして初の公開インタビューを行った。インタビュアーから心境を聞かれたチャールズ皇太子は、「ただ喜んでいる、幸せだ」と述べ、「プロポーズを受けた彼女の勇気に驚かされました」と冗談交じりにダイアナを称えた。しかし、インタビュアーが2人に愛し合っているか、と尋ねると「ええ、もちろんです」と即答したダイアナと違って、チャールズ皇太子は、数週間前にダイアナに言ったあの釈然としない言葉を繰り返すだけだった。彼は再び、「“愛する”の意味が何であっても 」と言ったのだ。

ダイアナはこの時笑ってやり過ごしているが、後年、このチャールズ皇太子の発言に動揺したと認めている。2017年に製作されたドキュメンタリー『Diana: in her own words』では生前のダイアナ妃の肉声が収録されており、その中で彼女はこのインタビューについて「ぞっとするもの」だったと語っており、チャールズ皇太子の発言について、「私は完全に面食らいました。なんて変な回答かしら、と思いました。完全なトラウマです」と回想している。

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1981年3月9日

anwar hussein archive
Anwar Hussein//Getty Images

ダイアナは婚約者としてチャールズ皇太子と初めて公の場に出席。彼女が同伴したのはロンドンのゴールドスミス・ホールで開催されたロイヤル・オペラ・ハウス支援のためのリサイタルで、ここからダイアナのファッションは報道陣から厳しい監視の目を向けられるようになる。

前述のモートン氏は、伝記のなかで以下のように綴っている。「彼女が選んだのは、重力を無視した胸の谷間が見えるデコルテがむき出しの黒のボールガウンだった。コメンテーターたちは、この服装は元ハリウッドスターであるモナコのグレース妃も出席するチャリティー・ガラで、露出しすぎなのではないかと疑問を呈した」

ダイアナが初めて「エマニュエル」のドレスを着用したのはこれが初めてで、デザイナーズデュオの夫婦はこの後、あのアイコニックなウェディングドレスを生み出すことになる。

anwar hussein archive
Anwar Hussein//Getty Images

ダイアナはこのイベントを「生きた心地がしなかった」と振り返っており、自分が王室のしきたりを知らないことに恥ずかしい思いをしていたと語っている。「私は最初にドアから出て行くべきかどうか分からなかった。ハンドバッグは右手ではなく左手に持つべきだということも知らなかった。その時はあらゆることが本当に怖かったわ」

グレース・ケリーはダイアナの緊張を察知し、緊張をほぐすように彼女の側について冗談交じりにこう言ったと報じられている。「心配しないで。これからもっと大変になるから」

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1981年7月27日

charles diana wedding rehearsal
Tim Graham//Getty Images

結婚式も近づいたある月曜日、ダイアナは恐ろしいものを発見する。それは、未来の夫が他の女性に贈ろうとしていた美しいブレスレットだった。その女性は彼の元ガールフレンドのカミラ・パーカー・ボウルズで、チャールズ皇太子とカミラは親密な関係が続いていた。モートン氏によると、ダイアナはブレスレットを発見した後、結婚式を中止することを考えたという。そしてそのブレスレットは、チャールズ皇太子とカミラの関係についての最悪の疑惑を決定づけるものだった。

しかしその後、姉のセーラとジェーンとの昼食会で、ダイアナは2人の姉に結婚式を行うべきだと説得される。「彼女は混乱し、動揺し、一連の出来事に困惑していました」とモートン氏は綴っている。「その時、彼女は真剣に結婚式を中止することを考えていましたが、(彼女の姉たちは)ダイアナの恐怖やその先にある大変な出来事の予兆について取り合ってはくれませんでした。『不運ね、ダッチ』と彼女たちは妹をニックネームで呼んで慰め、『すでにあなたの顔はタオルに印刷されているのだから、今ごろ臆病になっても遅いわ』と説得したのです」

写真/1981年7月27日、式の直前にセントポール大聖堂で行われたリハーサルに出向いたチャールズ皇太子とダイアナ

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1981年7月29日

royal wedding of prince charles and diana spencer
Tim Graham//Getty Images

チャールズ皇太子とダイアナはロンドンのセントポール大聖堂で豪華な挙式を行った。このイベントは世界74カ国で7億5,000万人のテレビ視聴者に見守られ、新婚夫婦の姿を一目見ようと60万人以上の人々がロンドンの通りに押しかけた。

不安を抱えながらも、ダイアナは結婚式の日は幸せに包まれていたと回想している。モートン氏の伝記の中には、「私は夫に本当に恋をしていて、彼にぞっこんでした」という彼女の言葉が紹介されている。「私は世界で一番幸せな女の子だと思っていました。彼は私の面倒を見てくれると思っていました。そして、その見込みは間違っていたのです」

1981年8月

royal honeymoon cruise
Tim Graham//Getty Images

おそらく、これを聞いても驚かないかもしれないが、2人の蜜月は新婚旅行までももたなかった。旅先でダイアナ妃はカミラがチャールズにカフスボタンを渡していたことを発見したが、そのデザインは彼女をさらに不安に陥れるものだった。「新婚旅行では、カフスボタンが彼の手首についていました」とダイアナ妃はモートン氏に打ち明けている。「シャネルの "C "のように 2つの "C "が絡み合ったデザインです。 私は『カミラがくれたんでしょ?』と訊ねました。すると、彼は『そうだよ。それのどこが悪いの?ただの友達からのプレゼントだよ』と答えたのです。私たちは口論になりました。嫉妬しました。本当に嫉妬しました。2つのCは名案かもしれませんが、賢明なやり方とは言えません」

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1982年6月21日

diana charles william
Tim Graham//Getty Images

ダイアナ妃はロンドンのセント・メアリー病院でチャールズ皇太子との間に第1子となるウィリアム王子を出産した。

1983年3月

prince charles, princess diana and prince william of wales visit to australia and new zealand 1983
Anwar Hussein//Getty Images

チャールズ皇太子&ダイアナ妃夫妻は、生後10カ月のウィリアム王子と共にオーストラリアとニュージーランドを訪問。カップルとして初の海外ロイヤルツアーがスタートした。

ガラパーティー、ポロの試合、写真撮影、チャリティー舞踏会など2人のスケジュールはぎっしりと埋まっていた。そして、まだ22歳にも関わらず、ダイアナ妃のスター性は夫のチャールズ皇太子を凌駕し始めていることはすでに明らかだった。ダイアナ妃はツアー中に大勢の観客を集め、チャールズ皇太子は人々を惹きつけているのは自分ではないことを十分に認識していた。チャールズ皇太子は「彼らは私の妻を見に来ただけで、私を見に来たわけではない」と側近らにこぼしたと『タトラー』誌は報じている。

prince charles  princess diana
Mirrorpix//Getty Images

赤ん坊のウィリアム王子をツアーに同行させることで、チャールズ皇太子とダイアナ妃は王室のルールを大きく変えた。イギリス王室では王位継承を守るため、2人の世継ぎが同じ旅行に行っては行けないと定められていた。ウィリアム王子を連れてきたことは、ダイアナ妃のオーストラリア国民、中でもダイアナ妃に親近感を持つ母親たちからの人気を高めることになった。当時のオーストラリアでは共和制への支持が高まっており、ボブ・ホーク新首相が「この国は共和制になった方が良い」と公言するなど、王政の人気は低下していた。しかし、ダイアナ妃があまりにも愛されていたため、この状況は変わることになった。『BBC History』誌によると、当時、テレグラフ紙はダイアナとチャールズの人気がオーストラリアの共和制への移行の可能性を“20年”も後退させたと報じている(このくだりは『ザ・クラウン』の第4シーズンでも引用されている)。

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1984年9月15日

royal couple and son
Princess Diana Archive//Getty Images

ダイアナ妃は「辛い」妊娠と9時間の陣痛の後にハリー王子を出産した。彼女がモートン氏に語ったように、ダイアナ妃の気力は、出産直後のチャールズ皇太子のコメントにあまり回復しなかった。「チャールズは女の子を望んでいたんです」とダイアナ妃。「ハリーは男の子でした。(チャールズ皇太子が)最初に発した言葉は、『なんだ、男の子か』というものでした。そして2番目のコメントは『しかも赤毛だ』でした」と回想する。ダイアナはこれを自分に向けたものだと受け止めた。というのも、赤毛は彼女の家系のものだったからだ。そして、その緊張した時間はますます不幸になっていく結婚生活の前触れだった。

diana princess of wales and prince charles with newborn prince harry
Steve Wood//Getty Images

ダイアナ妃は後に、ハリー王子が生まれた時のチャールズ皇太子の反応が、彼らの結婚生活の終わりの始まりだと表現している。『グッド・ハウスキーピング』誌によると、彼女はモートン氏に「ハリーが生まれる前の6週間はチャールズと私はとてもとても親しくしていました。それまでで一番、そしてその先を見ても一番でした」と語っている。「そして、ハリーが生まれた途端、私たちの結婚は消えてしまいました。何もかもが失われてしまったのです」

1986年

charles and camilla in 1979   special fee applies
Tim Graham//Getty Images

チャールズ皇太子はダイアナ妃と結婚後もカミラと親しくしていたが、2人が不倫関係になったのはいつ頃だったのかは明らかになっていない。『People』誌は、それは1986年のことだと主張している。

またこの年チャールズ皇太子は、後にディンブルビー氏の本で明らかになった手紙の中で彼の結婚について「どうして私はこんなにもやり損なってしまったのだろうか」と嘆き、「相性の悪さがどんなにひどいものか、そして、この途方もないドラマに巻き込まれた人にとって、それがどんなにつらく破壊的か。ギリシャ悲劇に出てくる内容が全て詰まっている。私はこの結婚がこんな結末になるとは全く思っていなかった」と綴っている。

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1989年2月

diana  camilla at ludlow races
Express Newspapers//Getty Images

張り詰めた何年間かの後、ダイアナ妃はチャールズ皇太子が元交際相手とまだ関係が続いていると確信するようになった。そして、ダイアナ妃はあるパーティーでカミラと直接対面する。

CBSニュースによると、モートン氏とのインタビューで、ダイアナ妃はそのやりとりについて克明に語っている。

ダイアナ: 「あなたとチャールズの間で何が起こっているのか知っているわ。そして、あなたにそれを知ってほしいの」

カミラ:「あなたは今まで欲しかったものを全部手に入れたわ。世界中の男性があなたに恋をしているし、2人の美しい子供もいるのに、これ以上何が欲しいというの?」

ダイアナ:「私の夫よ。邪魔をして申し訳なく思うわ。お二人にとっては地獄でしょうね。でも、私は何が起きてるかちゃんと知っているのよ。バカにしないでちょうだい」

1992年8月23日

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james gilbey
james gilbey   1989
REX/Shutterstock

ダイアナ妃が不倫しているという噂は以前からあったが、初めてそれが公になったのは、1992年にサン紙がダイアナ妃とジェームズ・ギルビーとの個人的な電話の会話内容について報じたときだ。2人の会話からはダイアナ妃とギルビー氏が不倫関係にあったほか(彼はダイアナ妃を“スクイッジー”と愛称で呼んでいた)、ダイアナ妃が彼に対して、チャールズ皇太子との悲惨な結婚生活について赤裸々に話していたことが分かる。

写真/ダイアナ妃と不倫関係にあったと言われるジェームズ・ギルビー。

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1992年12月10日

charles and diana unhappy
Tim Graham//Getty Images

非公式な別居生活がしばらく続いた後、チャールズ皇太子妃とダイアナ妃は正式に別居することが決定した。ジョン・メジャー首相は、庶民院で国民に向けて発表し、カップルは離婚する予定はなく、今後は別々に公務を継続すると発表した。「この決定は友好的に行われ、二人は今後も子育てに完全な形で関わっていく予定だ」とメジャー首相は述べた。

しかし、円満破局を強調したにもかかわらず、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の別れは、1996年に『ニューズウィーク』誌が “ウェールズ家の人々の戦争 "と呼んだ、国民の同情を得るための泥沼の争いに発展した。

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1994年6月

charles and diana
Princess Diana Archive//Getty Images

チャールズ皇太子は、英ジャーナリストのジョナサン・ディンブルビーとのインタビューで初めて自身の不倫を公に認めた。ニューヨーク・タイムズ紙によると、結婚生活を通して誠実だったかどうかを問われたチャールズは「ええ……それが取り返しがつかないほど壊れるまでは。私たちは2人とも疲れていたのです」と答えている。

1995年11月

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princess diana and major james hewitt
james hewitt
RON DADSWELL/REX/Shutterstock//Aflo

次に口を開いたのはダイアナ妃の方だった。彼女は今日では伝説的な(そして現在、物議を醸している)初の単独公開インタビューを受け、BBCのマーティン・バシールと、自身の過食症や、チャールズ皇太子の不倫について率直な意見を交わした。「私たちの結婚には3人の人間がいました。ですから、少し込み入っていたのです」

ダイアナ妃はまた、自分がチャールズ皇太子を裏切ったことを認め、騎兵将校のジェームズ・ヒューイットと数年間交際していたことを明らかにした。「ええ、私は彼が大好きでした。彼に恋をしていました。しかし、私は失望させられてしまいました」

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