毒家族に生まれて Vol.11 アメリカの男女平等を「殺した」反フェミニスト、フィリス・シュラフリー
トランプ元大統領の“ロールモデル”とも語られる活動家の、矛盾し、混乱し、そして破壊的な性格は、階級の上しか見せない上昇志向の毒親に醸成された。
2016年9月5日、トランプ元大統領の選挙戦を優位に動かしたと言われる、「保守派の女神」が彼の勝利を見ることなく亡くなった。その名はフィリス・シュラフリー。ガン闘病中にも拘わらずトランプ氏を熱心にサポートし、文字通り死を賭して演説する姿は多くの人の心を感情的に揺さぶった。彼女の正体は「反フェミニスト」。この立ち位置を武器に著作を何本も書き上げ、雑誌も立ち上げ、ラジオ番組も持ち、テレビスターにもなった。反フェミニズム運動を21世紀になっても貫き、90を過ぎてもトランプ支持で再び時の人となったバイタリティの陰には、他人への共感を抑え込み、ただひたすらエリート街道を進むことだけを刷り込んだ毒親の教育があった。
アメリカのフェミニズムを20年遅らせた女性
現代でもその名は米国における女性解放運動の最大の敵として知られる。彼女の最大の“功績”は、アメリカの憲法に「男女平等」が記載されるのを阻止したこと。男女平等指数121位の日本の憲法ですら「両性の平等」の記載があるにもかかわらず、自由の国アメリカではいまだに実現されていない(※)のは、1970年代男女平等修正条項、通称ERA(The Equal Rights Amendment)とその推進運動に対するネガティブキャンペーンを主導した、彼女の力によるところが大きい。
(※投票権に関連する記載のみに抑えられている)
昨年Huluのドラマシリーズ「ミセス・アメリカ~時代に挑んだ女たち~」でケイト・ブランシェットが演じ(日本では2020年2月6日より放送開始)、再び注目が集まっているシュラフリーの執拗なまでのフェミニズムへの攻撃、専業主婦こそが女の道と説きながら自身は職業婦人として先端を走るという矛盾、そして何よりも恐ろしいまでの支配欲はどこからやってきたのか。探っていくと、そこには上昇志向の親による徹底的なエリート教育があった。
(写真)「ミセス・アメリカ~時代に挑んだ女たち~」より(日本では2020年2月6日よりWOWOWにて放送開始)
落ちぶれた中流階級家庭
1924年8月15日、ミズーリ州セントルイスでフィリス・スチュワートは中流家庭に二人姉妹の長女として生まれた。両親はふたりとも革命時の闘士を先祖に持つそれなりの良家の出。父ジョン・ブルース・スチュワートはそこそこの良家の出身で、セールスエンジニアとして25年間も務めあげたが、会社は世界恐慌のあおりをうけ倒産。長女が生まれるころには無職となっていた。
(写真)1952年初出馬時に撮影させた家事シーン。この手法は英国サッチャー首相と重なる
代わって“大黒柱”となったのが父より17歳も若い母オディール。フランス風の名を持つオディールは、名の知れた地元の名士一家出身で、1896年生まれの女性でありながらワシントン大学で2つの学位を取得。いわゆる典型的なエリートの条件を備えていた。そのうえシュラフリーを生んだのも当時としては高齢の28歳。このことから母は当時としては先進的で、ある種の特権階級だったこともわかる。シュラフリーはこの母をロールモデルに人生を歩んだ。
(映像)「ミセス・アメリカ~時代に挑んだ女たち~」アメリカ版予告
初期キャリアウーマンの母に支えられる家
2つの仕事を掛け持ちし、一家を養う働きものの母。いっぽう父は会社が潰れたのち、発明家としてエンジンに開発に成功したりもしたというが、特許も取得できず最終的には二度と財政的に大黒柱となることはなかった。
それでも父は誰かしらに援助してもらうことを恥と感じていた極端な「自主自立主義者」で、大恐慌により職を失ったにもかかわらずニューディール政策に猛反対していたほど。だからこそ家族以外の誰かを頼ることを嫌い、頼る相手は17歳年下の妻以外にいなかったのだ。
(画像)「ミセス・アメリカ~時代に挑んだ女たち~」より
そのため、妻が財政的な責任者になることをそれほど後ろめたく考えている様子はなく、むしろ妻におんぶにだっこ。跡継ぎの息子が生まれないことに対して少しも恨み言を言わなかったという。そもそも母オディールの実家は女系家族。そのため、女性が家庭内で強い存在なのは当然でもあった。
こういった点でも、シュラフリーの少年期はジェンダーによる障壁が非常に少ない幸運なものだった。
だがしかし、同時にカトリック教徒であった両親は、夫が家族の中心であること、家父長制を決して否定しなかった。ここに性別役割の破壊と維持が同時に発生。矛盾が発生している。
(画像)福音派原理主義のジェリー・ファルエル牧師と男女平等憲法修正条項阻止を祝うパーティにて。1982年
「自分の中の闇を見ない」という闇
先進的キャリアウーマンで才女の母、年老いた無職の発明家の父は、子どもにはこの中流生活から抜け出し、もっと上の、本来自分たちがいるはずだった階級の住民になってもらいたい―――。そんな願いからか、経済的に決して余裕があるわけではなかったが、娘に教育だけはしっかりと受けさせた。
母オディールは週末や休みの日に図書館で働くのと引き換えに娘を自分の母校であるカトリック系私立女子校に通わせた。父は勉学と信仰と共和党こそが階級を斜めに駆け上がる階段だと教えた。
家父長制に従いながら、働く女性として階級をのし上がる過程では、自己矛盾に悩んでもおかしくない。しかしまっすぐ前を向いていられたのは、両親が勉強と信仰以外のことからは目を逸らさせたからだ。まるで左右にブリンカーを着けた競走馬のように。
5歳年下の妹で母と同じ名をもつオディールはこう証言している
「カトリック教育は非常に厳しいものでした。信仰は絶対で、そこには正解が間違いかしかない。グレーなどいっさい許されません」「姉にはいわゆるトリビア(雑学・世情・風俗に関する知識)がまったくありませんでした」
白か黒しかない潔癖さと同時に、生来の頭の良さから優秀性となっていた自信により、全能感まで育ってしまう。
「そのうえ、誰でも大抵の事はがんばりさえすれば自分で解決できると思っているところがありました」
(画像)シュラフリーはテレビホストとしてもメディアに出演した
進学費を稼ぐために働く~“ふつう”の体験が排除される日々
実際シュラフリーは武器工場で働いたり、モデルやミスコンに出たりして高校卒業や大学進学の際に、資金を自分で稼いでいた。学校の同級生に比べれば「苦労」と言える暮らしを、父親のように自主自立をモットーに生き抜いたのだ。
ここに罠がある。他の同級生たちよりも苦労している分、常に自分はピラミッドの底辺にいると感じていた節がある。そのうえ常に上を目指せと教えた親のもとでは、他の人よりも恵まれている自分の特権に気付くチャンスも、自分より恵まれない人について学ぶ余裕もなかった。彼女に見える社会のピラミッドは中流より上しかなかったのだ。
(映像)「ミセス・アメリカ~時代に挑んだ女たち~」BBC版トレイラー
しかし、豊かでなくても私学に進めたのも幸運にも母親に才があったおかげ。モデルをして稼げたのもたまたま美貌を授かったから。名門大学に進学できたのもたまたま才能を伸ばせる良家に生まれたから。思春期に男性による卑猥な視線に傷つけられずに済んだのも女子校に入れてもらえたから。当時女性ながらに教育投資を集中させてもらえたのもたまたま男兄弟がいなかったから。そして何よりも白人だから社会の障壁を感じずに済んだ。そういった幸運や特権は彼女の脳にはインプットされず、「苦労した自分ができたのだから、どんな女性でもがんばればなんでもできるはずだ」と自己洗脳してしまったのかもしれない。
自分は正しく、世界には正解か不正解しかない
実力があればすべてが可能になると信じた彼女は、フェミニズムによって自分よりはるかに辛い環境にある人々が救われていても「女に下駄を履かせる逆差別だ」と耳を貸さなかった。妹オディールの言葉によればシュラフリーは「(解決には)話し合いなんかしなくてもいい」、人と意見を交わらせ歩み寄る必要すらもないとも思っていたところがある。その証拠に、妹がのちに離婚歴のある別宗派の男性との結婚する際は決して賛成しなかった。そのためこの長女は「音信普通にはならない程度に、すごく深刻とは言えない」くらいに次女から離れていった。
ものごとには正解か不正解かしかない。勉強にも宗教にも、正しいものと間違っているものしかない。そして人生には成功か失敗かしかない。なのになぜ多くの女性は妹のように道を間違えるのか。なぜ正解に向かって努力できないのか。なぜ母と私と違って女性は愚かなのか……。
極端な対立構造でものを考えるようになったシュラフリーは、学校でもそれ以外でも一部の例外を除き女友達に興味を示さなかったという。それは大学生になっても変わらず、シュラフリーついての著作がある作家、キャロル・フェルゼンタールによれば「伝記を書いていることを知ったワシントン大学の同級生は『彼女は全然授業に出てこなかった』と、わざわざ文句を言いにきた」という。彼女にとって世俗的な友人関係は取るに足らないもので、思い出は人ではなく、学校か家族かの2つでしかなかったのだ。
共感性をまるで欠いた真面目少女
その証拠に彼女は成長してからも嬉々としてこう振り返っている。
「勉強が大好きだった。先生も授業も、いい成績を収めることも大好き。そういう(勉強に関することなら)全部好きだったの。たくさん課外授業にも行ったものです」。
シュラフリーの世界は勉強と宗教できていた。彼女は自分の考えを疑わず、他人の意見に耳を傾けず妹いわく「一度自分が退屈だと思った物事に関しては二度と興味関心を示そうとしなかった」ほど偏狭な子に育ってしまった。
(画像)宿敵とされた米国フェミニストの祖とも言える代表的存在ベティ・フリーダン(右)との討論会。YouTube上で今も多く残されているが、そこからは共感性をまるで欠いたシュラフリー独特の話し方が観られる
面白いエピソードがある。趣味は? と問われると「核戦略」と答えたというのは有名な話だが、それ以上にユニークなのが、ある同級生(全米女子学生機構の元会長)がフェルゼンタールに語った少女時代のエピソード。彼女の世情への疎さを端的に証明している。
「私が彼女と学校のディベート大会に出たときです。会場一杯にひしめく観客を袖から見て『ねえ、私たちミック・ジャガーみたいじゃない?』と言うと、彼女はこう訊き返したのです。『ミック・ジャガーって誰?』」
世間を知らないまま政治家を目指す
世俗の知識を全くといっていいほど持たず、勉強だけだった彼女だが、ワシントン大で政治学を専攻。だが、政治は人々の思惑が蠢き、交渉や根回しの世界。成績は優秀だったが、彼女の思い描いた政治家人生は失敗する。
ラドクリフ大で修士号を取得後、保守系シンクタンクで働き、地元の代議士の選挙運動に関わり、見事当選に導く。政界にコネのある弁護士と結婚すると1952年、今度は自分が表舞台に乗り出した。良妻賢母を売りにして立候補。「今日は夫の許可を得てきました」という演説の前口上がフェミニストたちを苛立たせたのは有名な話だ。
だが、反共産主義の候補として女性を据えたかった共和党の候補にはなれても、結局民主党候補に敗退。その8年後、再びチャレンジするも、結局政治家としての道は開かれなかった。
(写真)1976年、男女平等憲法修正条項反対のデモにて
“専業主婦代表の職業婦人”という大いなる矛盾
ふつうはここで「なぜ当選しないのか」と足元を見つめるところだが、シュラフリーはまたも前を向いた。自作のオピニオン誌を発行したり、陰謀論を唱えたりして耳目を集め続けたが、その過程で新たに見つけた武器が、「反フェミニズム」という一手だ。
フェミニストを煽り、怒らせる手段として彼女の才能はうってつけだった。女性差別だと騒ぐ女性は愚かさの言い訳をしているだけだと考えていた節があるし、むしろ女性であることは特権だとも信じていたシュラフリーは1970年代、ERAつまり男女平等修正条項を憲法に盛り込む運動に、民主党も共和党も賛成に傾くなか、意見のつり合いをとるための保守派の対抗馬としてメディアでも政界でも持ち上げられた。
しかし彼女は持ち前のガッツでバランサー以上の活躍をしようとしてしまった。それはプロレスの舞台で総合格闘技で闘うようなもの。頑張れば頑張るほど、鼻に付くシュラフリーはひそかに煙たがられ、共和党内部にも敵を作った。そのうえ専業主婦の代表として自称しても、実際の子育てや家事は5歳上の義理の妹と家政婦に任せていた。さらに彼女は友人をつくる術を知らなかったため、彼女の中に存在するのは夫や両親のように「従う相手」か、妹や信奉者のように「従わせる相手」かの二種類しかいない。そのため支持者の中には「操作されている」と感じる女性たちは離れていく者も……。女性たちの搾取を土台に成立していた「主婦の味方」のメッキは容易に剥がれてしまいそうになる。
(写真)1992年ころ
そこでシュラフリーが次の一手として使ったのが、「分裂」という手段。シュラフリーは相手を破壊することに長けていた。当時フェミニストたち各々が別々の目的を持っていることにつけ込み、女性解放運動の中にも矛盾があることを徹底的に攻撃し、仲違いさせることに成功。この時の彼女の論理展開は今でもアンチフェミニストによって攻撃手段ひな型として多用されているほど、破壊力は大きいものだった。
これは彼女自身がいくつもの矛盾を抱えることから学んだ、当然の才能だった。フェミニストたちそれぞれの重箱の隅をつつき、中絶問題や黒人問題などフェミニズムの中でも慎重に進めながら解決していくべき問題を単純な二項対立にし、共通目的から視点を逸らし、分裂させた。
(映像)シュラフリーの手口を「女性解放運動を脱線させた」と人物として分析した番組
たとえば「ERAが女性の教育発展させることはない。フェミニストたちは男子校・女子校を放置しているのだから。本当に男女平等の教育を実現させたいならそれらを解決するべきでしょう?」といった具合に。
自分自身の矛盾を抱えているからこそ、他人の矛盾を突けば正論を語っているように見えることをよく知っていたのだ。この戦法は有効で、見事憲法から「男女平等」の言葉を排除し、アメリカ史に名前を残した。
#MeToo後のアメリカで意見は異なれど「女性たちの連帯」の必要性がしきり叫ばれたのはこのときの苦い思い出があるからでもある。
(写真)2004年撮影
政治的主張を長男に裏切られて
だが最後に彼女は自分の子どもからしっぺ返しを食らう。6人の子どもにとっては優しい母、勉強を教えてくれる優秀な母であり続け、全員法曹関係や医師やジャーナリストなど“立派な”職業に就かせたが、あるとき長男ジョンがゲイであることが発覚する。「パブリックスクール(エリート寄宿学校)は同性愛者を育てるから禁止すべき」などと語り、同性愛をエイズ源かのように喧伝し、ホモフォビアを煽った彼女は子どもという形で矛盾を突き付けられた。
それでも彼女は前を向いた。いや、正確には足元を見ないことにしたのだ。彼女には「興味のないことはどうでもいいこと」と切り捨てられる能力があったから……。彼女が支持者の前でフェミニストを貶すためよく使った言葉に「ネガティブ」という言葉がある。「フェミニストたちはネガティブな動機で動いている。私たちはポジティブに生きましょう」と。
(写真)2016年の大統領選でドナルド・トランプの応援演説時に駆け寄られるシュラフリー
確かに彼女はポジティブだった。宗教に洗脳されたかのように……。狭くきれいな籠の中で育てられ、汚れたものを知らず、中産階級からアッパーミドルの生活を貫き、マイノリティの生活に目を向けることなく、強く美しいアメリカのあるべき姿を目指した。ただそこには信念はない。成功と正解があっただけ……。
灯台を目指してまっすぐ進み、目の前にある岩に乗りあげ座礁していることに気付かない。そんな彼女は政治家の道を志し、2度出馬に挑むも失敗し。ついに政治家として「成功」することはなかった。この人生は成功だったのか、失敗だったのか。自分は天国に行けると信じていたに違いない彼女は、両親になんと伝えるのだろう。
(写真)2016年の大統領選にて