にわかには信じ難いが、たった10年前の2013年まで、フランスには女性のパンツ(ズボン)着用禁止条例が存在した。現代では、誰もがパンツをはくことが完全に受け入れられているが、実際には、パンツの歴史は2世紀以上前から続く女性解放のための長い闘いの産物である。

数世紀続いた女性に対する理不尽な命令

多くの人にとって2013年1月31日という日付は特別な意味をもたないかもしれない。しかし、この日はフランスで1800年11月7日に制定された女性のパンツルック、いわゆるズボン着用禁止の条例が、213年越しに廃止された日。そう、女性解放の象徴の日なのだ。

woman wearing sports clothes
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膝丈パンツのスポーツウェアを着た女性。1897年。

19世紀当時、パンツは男性のための衣服として認識されていた。かつての条例には「男性の格好をしたい女性は、警察本部に報告しなければならない」と規定されていた。文書の背後には、その理由がいくつか記されている。そのひとつは、フランス革命戦争(1792〜1799年)が完全に終焉したことを国民に認識させたいという帝国の願望が隠されている。

フランス・アンジェ大学の現代史の教授であり、ジェンダー史の専門家であるクリスティーヌ・バードは、数年前に出版した著書「ズボンと政治史(Une histoire politique du pantalon)」の中で、戦争中に一部の女性は武装して男性とともに戦っていたことを強調している。当時制定されたこの条例は、女性が女性としての存在を明らかにし、女性らしい道を再開することを推奨した。しかし、そこには女性が男性の支配をサポートする思考と矛盾がはらみ、女性にスカートをはくよう推奨することで、特定の活動や職業の実践を妨げていた。免除の要求が可能なのは、健康上の理由、馬に乗る場合、もしくは原告がパンツの着用が不可欠な男性の仕事をしていることを証明した場合。この規則に違反したら、罰金のペナルティが発生した。

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ニッカボッカをはいた女性。1930年代。

200年以上経過し、フェミニストの戦いと慣習の長い進化の後、ついにこの条例が議題に上がることとなった。2000年代初頭、幾度となく廃止要求が出されたが、当初は見向きもされなかった。しかし、2010年にクリスティーヌ・バードの著書がリリースされたことで事態は加速した。

「本を出版したという事実が何かを引き起こしたようです。パリ市長への願い、警察本部からの否定的な反応、ナジャット・ヴァロー=ベルカセム(フランスで女性として初めて国民教育・高等教育・研究大臣に就任した政治家)の介入が想起されます」とクリスティーヌは話す。2013年1月13日、警察署からの返答を受け、政府が問題の手直しをすることとなった。この条例は、憲法およびヨーロッパ公約に祀られている女性と男性の平等の原則、特に憲法第1条、および欧州人権フォーラム条約と矛盾していると訴えた。「非互換性により、2013年11月7日に条例が暗黙的に廃止されました」

キャサリン・ヘップバーンとマレーネ・ディートリヒ。銀幕の反逆者

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キャサリン・ヘップバーン

女性がパンツを着用することが当たり前になるまで長い時間を要したが、その過程には男性と女性の両方の強力なサポーターがいた。大西洋を超えて、ドレスコードがフランスと同じように性別で分けられていたアメリカにも。

女優キャサリン・ヘプバーンは、1930年代からドレスとスカートの着用を避け、非難を受けながらも女性解放の探求と信念に忠実になることに躊躇しなかった反逆者の一人である。映画の撮影中、ジーンズを没収されると下着姿でセットの中を歩いていたというエピソードが残されている。また、1951年、ロンドンのクラリッジスホテルのコンシェルジュがロビーでは女性がズボンを着用できないことを伝えると、ロビーを避けるため裏口の使用を選択したという。1933年に彼女がヨーロッパを旅行中、パリに到着するのを待っていた警察署長から彼女を護衛したのはハリウッド女優マレーネ・ディートリヒ。2人とも強い決意をもっていたことが分かる。

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マレーネ・ディートリヒ

しかし、全てが順調に進んだわけではない。フランス出身のアスリート、ヴァイオレット・モリスは日常着として男性服を着用することを好んでいた。1930年、これが“モラルの欠如”という理由からオリンピック出場を禁止されたことを受けて、彼女はフランス女性スポーツ連盟に対して訴訟を起こした。だが、当時の世論の共感は女性解放よりも男性支配に傾いていたこともあり、彼女の主張は負けることとなる。

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ヴァイオレット・モリス

モードの世界とパンツの変遷

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パンツルックを着付けるポール・ポワレ。1944年。

モード界はもちろん、女性のズボンの台頭を認めている。業界は一般的に需要と供給のシステムによって支配されているが、ポール・ポワレは20世紀の初めから彼のクライアントにズボンを提供していた。商業的な成功はそこにはなかったが、女性解放の最初のきっかけとなったことは確かである。

ガブリエル シャネル
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1930年、南仏の自邸「ラ パウザ」にて愛犬と共にくつろぐガブリエル シャネル。 GRANGER.COM/AFLO

数年後、ガブリエル シャネル自身がボーイッシュなルックと幅広のハイウエストパンツで登場した。それは男性用ワードローブから直接借りたもので、リラックスした全く新しいエレガンスの代名詞となった。だが、この時はまだ彼女自身の衣服として着用しただけだった。

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イヴ・サン=ローランがデザインしたスモーキングルック。1970年。

1960年代にパンツが民主化されたのは、特にイヴ・サン=ローランの功績が大きい。独自のワードローブを提供しながら女性解放を熱望した彼は、1966年に女性用タキシード、翌年にパンツスーツ、いわゆるスモーキングルックを発表した。曲線を隠さず強調するためにカットされたアンサンブルは、生涯にわたるミューズ(ベティ・カトルーからカトリーヌ・ドヌーヴまで)や、自由を愛するパリの女性たちにたちまち採用された。

© house of cardin  the ebersole hughes company
© House of Cardin - The Ebersole Hughes Company
ピエール・カルダン、1971年のコレクションより。

また、アンドレ・クレージュとピエール・カルダンも女性解放に貢献したクチュリエのひとり。そして、まさにこのパンツスタイル革命を支えているのは、プレタポルテの発展にある。衣類がより身近になり、内容も変化し、動きやすさが重視されたためだ。

しかしながら、法的には実は何も動いていなかった。1968年5月、当時の市議会議員ベルナルド・ラファイは、パリの知事にパンツ着用禁止条例を廃止するよう要請したが、彼の要求は無視され封印された。「モードは予測不可能な変化がつきものであり、いつまで話題になるか分からない不確実な事象によって条例は変更しない」と一蹴された。 クリスティーヌ・バードが本の執筆の一環として、ベルナルド・ラファイにこの件について尋ねた。「イヴ・サン=ローランやクリスチャン・ディオールによるスカートやドレスは、ときにパンツよりもフィットし、ほとんど場合十分にエレガントであった。要するに私の信念は、反対の党からは容易に批判する内容だったようだ」と彼は答えた。

ワードローブはジェンダーを超えて

1960〜70年代にかけて広まった女性のパンツの着用は、今や必然的に当たり前になっている。この間、フランスでは女性の生活が大きく変わった。避妊を支持し、中絶を非犯罪化する法律は、女性に自身の体を独立して管理する自由を与えた。同時に、政府は労働市場に多額の投資をしており、女性が自身の名前で銀行口座を開く権利を初めて獲得した時代でもある。

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『アニー・ホール』のダイアン・キートンとウディ・アレン。

映画と広告は、これらの新しい自由を反映している。1977年公開の映画『アニー・ホール』のダイアン・キートンのマスキュリンなユニフォームから、1981年に写真家リチャード・アヴェドンによるブルック・シールズの有名な「カルバン クライン」の広告は、“女性にとってパンツは不可欠”と主張しパンツの民主化を進めた。

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ファラ・フォーセット。1977年。

80年代は、衣服がもつジェンダーの隔たりを壊す役割を果たした、完全にユニセックスなアイテムであるジーンズのグローバル化によって特徴付けられた。ビッグメゾンがこの流れに続き、ドレスとスカートは次第に勢いを失っていった。そして2000年代に移行すると頃には、パンツは多様性と遍在性をより確実にするかのように、さまざまなスタイルで登場して発展していったのだ

そして、ますます性別が流動的な現代のモード界で問題は逆転する。パンツが今やユニセックスのワードローブの一部であり、誰も文句をつけられない今、その矛先はスカートに向けられている。男性向けのスカートは、マーク・ジェイコブスが自身の私服としてしばらくの間取り入れられ、90年代からはジャン=ポール・ゴルチエのキャットウォークに登場した。

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マーク・ジェイコブス。2012年春夏コレクションにて。

クリスティーヌ・バードは「今の課題はスカートを普遍化することです」と述べる。「私たちは男性と女性の二元主義から抜け出しているので、“普遍化”という言葉を好みます。特に、自分たちを非二元的であるとみなし、男性または女性のどちらかとして識別したくない若者がますます増えています。もしもあなたがこのアイデンティティを主張するなら、どんな衣服を着るでしょうか?」

広義に解釈すれば、より包括的で性別の少ないファッションのトレンドがますます高まっており、通常の束縛から遠く離れたシルエットへの扉が開かれている。2019年11月、「WWD」はZ世代の消費者の56%が「割り当てられた性別以外」の服装をしていると報告した。いつの時代もファッションは、慣習を素早く変更するための最良の方法なのかもしれない。

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translation: ELIE INOUE

フランス版「エル」の元記事はコチラ