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金曜日の毒母たちへvol.3―――ブリジット・バルドー、無邪気に息子を捨てたセックスシンボル

CULTURE SPECIAL

Headshot of ELLEBy ELLE
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仏を代表するセックスシンボルでもある女優、ブリジット・バルドーが実の息子に訴えられたことは知る人も多い。ただの告白本が自らが産んだ子の憎しみを引きだしてしまった悲劇の背後には、母になることを頑なに拒否したバルドー自身の、子供のまま母親になってしまった哀しいまでの無邪気さがあった。

愛されることだけを望む奔放な少女

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1959年、25歳のブリジット・バルドーは世界で一番美しい女性だった。小悪魔的な顔立ち、バレエで鍛えたセクシーなボディ。モラルに縛られない生き方は戦後の沈滞したフランスに新風を吹き込んだ。

ブルジョワ家庭に生まれて突然スターになった彼女は、周囲に賞賛され、愛されることだけを望む少女のまま栄光の日々を生きていた。

皆に愛されるコケットなブリジット・バルドーは、少女性からくる危うい性的魅力で満ちていた。

Photo: Aflo

10代で繰り返した中絶

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「BB」(=赤ちゃん)というニックネームはまさにそんな彼女にぴったりだった。そんなBBが母親になった。妊娠するのは初めてではなかった。17歳のとき最初の夫ロジェ・ヴァディムの子供を宿し、スイスで堕胎手術を受けている。2度目に妊娠して堕胎したときは大量に出血して病院に搬送された。そんな体験をしながら、『バベット戦争に行く』(1959)で共演したジャック・シャリエの子供がお腹にいると知ったとき、ブリジットはためらうことなく、恋人に内緒で堕ろそうとした。

だがどの医者も大スターの堕胎を請け負うリスク(仏では1974年まで人工妊娠中絶は違法)にしり込みして、BBにはもはや産む選択しか残されていなかった。BBは大きなお腹をカバーするウエディングドレスを着て、カメラマンの大群に見守られながらシャリエと結婚式を挙げた。しかし、妊娠と出産は彼女にとって不快な経験でしかなかった。

BBと出会った‹50年代末には将来を嘱望される若手男優だったシャリエ。だが彼女と一緒に過ごすために『太陽がいっぱい』主演のオーディションを棒に振ったことで明暗が分かれた。代わりに役を演じたアラン・ドロンは大スターに。シャリエは結局「BBの元夫」でキャリアを終えることになった。

Photo: Getty Images

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「赤ん坊はまるで私から養分を吸い取って成長する腫瘍だった」

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自伝ではショッキングな言葉を使って以下のように書いている。「赤ん坊はまるで私から養分を吸い取って成長する腫瘍だった。私はこの腫瘍を厄介払いできるときだけをひたすら待ち望んだ」

1960年1月11日、パパラッチに包囲された16区のアパルトマンの一室で、BBは出産する。なかにはBBの家を見下ろす近隣の屋根裏部屋を借りたゴシップ誌もあった。

出産直後にベッドの上で開いた記者会見で、ぎこちなく息子を抱えるバルドー。

Photo: Aflo

「どっちでもいいわ、見たくもない」

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当時の慣例に従って鎮痛薬などは処方されず、BBは激しい痛みに耐えなければならなかった。やっと分娩したときは疲れ果てていて、男の子だとわかっても「どっちでもいいわ、見たくもない」と助産婦に言い放った。

子供はニコラと名付けられた。ニコラと母親は最初からうまくいかなかった。腕に抱かれると火が付いたように泣きだしたので、すぐに乳母に預けられ、BBはまた以前の生活に戻った。マスコミの寵児として華やかに毎日を過ごし、気ままに恋愛する生活だ。

いつでも男性に愛される存在であろうとしたブリジット。

Photo: Aflo

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年老いてもなお自伝で息子を傷つける

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彼女は『真実』(1960)の共演者サミー・フレイと恋におち、子供の父親シャリエとあっさり離婚する。親権には執着せず、ニコラは父親が育てることになった。その後、息子とはバカンスでたまに会う程度。1996年に自伝が刊行され、傷ついたニコラが訴訟を起こして以後は、彼やその娘たちとは音信不通だ。

「私は最悪のタイミングで母になり、息子も私も不幸になった」とインタビューで語ったBB。現在82歳で、この秋には新しい自伝が刊行予定だが、その心境は計り知れない。

大きくなったニコラと。親子が絡むのは、あくまで良い母像を見せることで愛されるため。

Photo: Aflo

INFORMATION

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Original Text: FLORENCETRÈDEZ Text: IZUMI MATSUURA

エル・ジャポン12月号

あの女優がDV加害者だった!? 12月号『エル・ジャポン』ではジョーン・クロフォードほか、ブリジット・バルドー、マレーネ・ディートリヒといった“毒母女優”の生々しい不都合な真実を掲載。 
 



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