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ミステリの女王として知られるアガサ・クリスティー。今年は彼女が生まれて130周年、そして作家デビューから100周年というクリスティーイヤー。
映画『ナイル殺人事件』が12月に公開!
この特別な年を記念してイギリスを代表する映画監督ケネス・ブラナーが手掛けた『ナイル殺人事件』が12月18日(金)についに日本公開! ブラナー監督のクリスティー作品としては2017年の『オリエント急行殺人事件』に続く第2弾になる。
舞台はエジプトのナイル川。大富豪の娘が新婚旅行中のクルーズ船内で何者かに殺されてしまう。容疑者は結婚を祝うために集まった乗客全員。豪華客船という密室で誰がどんなトリックで彼女を殺したのか。名探偵ポワロが愛と嫉妬、そして欲望が絡み合う真相を解き明かす。
この映画はもちろん、原作『ナイルに死す』を始めとするクリスティーの小説をより楽しむために、クリスティーの知られざる素顔を大公開! ミステリの女王という名に恥じない、驚きに満ちた一面が今明らかに。
学校に通わせてもらえなかった
イギリス南西部のデボンシャーに生まれたアガサ。姉と兄がいたが歳が離れていたことから幼少期は一緒に過ごすことはなかった。母クララは上の2人の子どもは学校に通わせたのに、アガサだけは家で教育。さらに「8歳になるまでは読み書きできない方がいい」という変わったポリシーの持ち主だったことから、アガサはほぼ独学で文字を習得した。
こう聞くと母とアガサの確執を想像しがちだけれど親娘関係は円満だったよう。アガサは生涯母を尊敬、亡くなったときには大きなショックを受けていたという。
「ミステリーなんて書けるわけがない」と言われて奮起!
アガサが15歳のとき、一家でパリにお引っ越し。そこでアガサは短期間、フィニッシングスクール(礼儀作法や料理、芸術などを学ぶ。いわゆる花嫁学校)に通った。このスクールで文学に夢中になった彼女は自分でも文章を書くように。その後、姉のマーガレットから「ミステリーなんて書けるわけがない」と言われて書き上げたのがデビュー作『スタイルズ荘の怪事件』。アガサが生んだ、世界で最も有名な探偵の1人、エルキュール・ポワロが初登場する記念すべき作品である。
ポワロにはモデルがいた
そのエルキュール・ポワロにはモデルがいたと言われている。1912年頃、街でバスから降りてきたベルギー人の男性を見てインスピレーションを得たそう。アガサの孫のマシュー・プリチャードがあるインタビューで明かしている。プリチャード曰く「祖母は卵形の頭で変な形の口髭を生やし、頭を片方に傾けてちょっと戸惑ったような表情の男性を見て『これは完璧』と思ったそうだ」。
(写真はイギリスのテレビ局LWTが制作したドラマ版のポワロ。原作に最も近いと称賛されている)
アガサは毒殺魔
ミステリに不可欠なのは殺しだけれど、アガサは乱暴な殺し方(?)が嫌い。薬物を使うのを好んだ。彼女の公式ホームページによると、殺人事件の約40%が毒殺によるもので、射殺や撲殺を抑えて断然トップ! 実はアガサは第一世界大戦中、看護婦見習いをしたり、薬局で調剤の仕事をしていた。その頃薬剤師の資格をとり、仕事をしながら毒薬の勉強もしていた。前述のデビュー作『スタイルズ荘の怪事件』でも早速その知識を生かし、毒薬を登場させている。ちなみに『蒼ざめた馬』にもある毒薬が登場するけれど、作品を読んでいた本職の看護師が文章から、使われた薬物の種類をぴったり当てることができたそう! アガサの描写がいかに正確かよくわかる。
ミステリーだけでなく恋愛小説も得意
サーファーだった!
なんとプライベートではサーファーだったアガサ。最初の夫アーチボルドが大英帝国博覧会の宣伝使節だったことから、33歳のときに世界一周旅行へ。南アフリカで初めてサーフィンを体験、ハワイに滞在中もサーフィンに夢中になっていたという。ちなみに公式ホームページのSNSによると「イギリスで初めてスタンディングサーフィンをした1人」。
(写真は当時のサーフィンボードを持ったアガサ)
実生活でもミステリ小説さながらの失踪事件!
作家として数々の事件を創造したアガサ。実際に小説さながらの事件を引き起こしたこともある。それは36歳のとき。母を失った直後に自宅から忽然と姿を消してしまった。警察が捜索隊を組織して付近の森を探すも手がかりはなし。夫アーチボルドに愛人がいたことから「彼が殺したのでは?」という報道も飛び出した。結局11日後、あるリゾートホテルで発見された。ちなみにこのときアガサは愛人の名前を使って宿泊していたという。発見後マスコミは「本の宣伝のための売名行為だ」とアガサを大バッシング! 夫が「記憶喪失のせいだった」という医師の診断書を出すも、なかなか炎上はおさまらなかった。アガサ自身が理由について明かすことはなかったが、このバッシングでマスコミがすっかり嫌いになってしまったそう。
(写真はアガサ発見を報じる新聞記事)
傷心旅行で出会った考古学者とスピード結婚!
失踪事件後、アガサはアーチボルドと離婚、傷心旅行を計画していた。行先は西インド諸島。でもその直前に友人の紹介でバグダットから帰ってきた夫妻と知り合った。「バグダットにはオリエント急行で行ける」と教えてもらったアガサは、西インド諸島の旅行をキャンセル! オリエント急行を予約しバグダットへと旅立った。その旅でバグダット近くのウル遺跡の発掘現場を見学、アガサは有名考古学者のウーリー卿と知り合いに。彼の紹介で出会った14歳年下の考古学者マックス・マローワンと恋に落ち、その年のうちに結婚! アガサの人生は恋愛小説でもある。
結婚後、アガサはマローワンの発掘を手伝うように。この経験を生かして遺跡を舞台にした『メソポタミアの殺人』を書き上げた。もちろん傷心旅行でオリエント急行に乗ったことが『オリエント急行殺人事件』のインスピレーション源になったのは間違いなし。
ミステリーの女王は本物の女王に会っていた
文学界への長年の貢献を称えられ、66歳のときに大英帝国勲章のCBE(コマンダー)を、81歳のときにDBE(デイム)を叙勲しているアガサ。エリザベス女王にもバッキンガム宮殿で謁見している。当時のことをアガサは自伝で「エリザベス女王との晩餐会は人生で最もワクワクした出来事の1つ」「女王はとても小柄でスレンダーだった」「親切で話しやすい方だった」と振り返っている。
ちなみに2番目の夫マックス・マローワンも考古学への業績で、デイムと同等のナイトの爵位を受けている。叙勲は競争ではないけれど、アガサがデイムになるより3年早かった。
新聞がエルキュール・ポワロの逝去を報じる
ポワロが登場する最後の作品は1975年の『カーテン』。この中でポワロが死を迎えると新聞「ニューヨークタイムズ」は第1面に「著名なベルギー人探偵、エルキュール・ポワロ死す」と記事を掲載。「ポワロ氏の年齢は不明。1904年にベルギー警察を引退してから私立探偵として国際的な名声を築いた」「晩年は関節炎と心臓疾患を抱えていて車椅子で過ごすことが多かった」と小説を元にリアルにその死を報じていた。
(写真はちょうどポワロを”殺した”頃のアガサ)
番外編1:この人はベルギー人ではなかった
アガサの小説を読んだことがなくても、このポワロの姿を見たことがある人も多いのでは?
これはイギリスのテレビ局LWTのドラマ「名探偵ポワロ」でポワロを演じたデヴィッド・スーシェ。原作のポワロはベルギー人で、フランス語なまりの英語を喋るためしばしばフランス人に間違えられる。このドラマでスーシェはその訛りを完璧に再現、「原作に最も近い」と称賛された。でもスーシェ自身はベルギー人でもフランス人でもなく、生まれも育ちもロンドンのイギリス人! スーシェ(Suchet)というフランス風の姓も、本当の発音はサシェット。この役を演じるようになって変えたそう。
番外編2:ベネディクト・カンバーバッチも出演!
アガサが生んだキャラクターでポワロと並んで有名なのは、おばあちゃん探偵ミス・マープル。こちらもドラマ化されているけれど、ベネディクト・カンバーバッチも出演している。シーズン4の『殺人は容易だ』がそれ。主要キャラクターの1人だから出番もたくさん! 未見のファンは要チェック。