恋の緊急事態宣言は解除されるか ― 作家・鈴木涼美と考える、「密」になれない時代の恋愛術
緊急事態宣言は解除されたものの、各所で外出規制や人数制限が設けられ、新しい出会いが見込めなそうな昨今の世界情勢。これから本格的に始まる夏に向けて、テンションがなかなか上がらないものの、それでも恋がしたい女性に向けて「密」になれない時代の恋愛のいいこと、悪いこと、そしてどうやって人と出会えばいいのか―作家・鈴木涼美さんが考えてみた。
首都圏の緊急事態宣言が解除され、暖かい天候のなかでややしれっと戻ってきた日常に少し面食らい、それでも徐々に外出のチャンスが生まれそうな季節に心が弾んでいる方もいるかもしれません。生涯で初めての自宅軟禁状態やリモートワーク、あるいはものすごく緊張感を持っての外での仕事など、千差万別の事情の中、それぞれが緊急事態を戸惑いながら生き抜いてきた私たちは、再び不確定な状況の中、千差万別の社会復帰をしていくことになりそうです。
彼はやんわり断ってるのか、それとも延期なのか……もやもや問題
お仕事以外でも生活には様々な制約や変化がありましたし、それは形を変えながら、今でも続いています。家族や友人との交流、趣味や旅行などが、「元どおり」になるのか形を変えていくのか、いずれにせよまだ思うように(記憶にある常識通りに・従来の希望通りに)、動けていると感じている人は少ないかもしれません。趣味のゴルフや野球観戦や旅行や家族との定期食事会でも不確定で思うようにいかない状況で、常時から「不確定で思うようにいかない」恋愛はどのような様子を見せているのでしょうか。
例えば友人たちと定期的に開いている食事の場を、自粛期間中に予定を延期したり欠席したりする人は多かったかと思いますが、「飲食店の営業時間が不確定だし、外に出るのが不安」と言われれば、その言葉をその通りにとって、「落ち着いたら行きましょう」と普通なら返事をします。しかし、例えばちょっとお互い好意がある恋の途中の相手にそのようなことを言われると、本当にお店の状況が不確定なのか、気持ちが不確定なのか、ウイルスに不安なのか、この関係に不満なのか、と邪推してしまうものです。「自宅から出ないほうがいい」という、緊急事態下では普通だったことも、好きな人に「自宅から出ないほうがいいから会わない」と言われたら、その本心を疑い、自宅から出ないほうがいいと本当に思っているのか、会いたくないのか、他の女性には会っているかなど、もやもやした気持ちで過ごしていた人は多いかもしれません。
それは恋愛が、ある人にとっては、「大好きであれば国の方針なんて無視する」、「清潔にするように言われても好きな人との接触なら気にならない」エクセプションになるもの、そしてまた別の人にとっては、「どんなに好きでもウイルスには関係ない」「仕事すらままならない状況で恋だ愛だとやってられない」不要不急の極みのようなものであるくらい、各々によってその認識が極端に違うから、とも言えます。そして、恋愛がそもそも本心を探り合う要素を含むため、「確実なもの」とは対極にあるとも言えるし、仕事や趣味と違って世界がどのようであろうとも変わらない「確実なもの」とも言えるという厄介なものです。
パンデミックをサバイブした私たちが恋愛するときの注意点
ただでさえ生まれて初めて遭遇する、先行きのわからない時代に、恐る恐る足をだそうとしている私たちにとって、普段でさえ恐る恐る足を踏み入れる恋愛関係は二重にも三重にも不安なものになりえます。ただ、場合によっては、世界がどんな風にかわろうとも変わらない唯一のものとして心強いものにもなりえます。よく歌や映画では愛だけは永遠なんて言います。
少なくとも、くるくる変わる状況下で、恋愛の作法に変化や制約があるのは間違いありません。パンデミックをサバイブした私たちが、恋もサバイバルするのにはどんな注意が必要なのでしょうか。
死者数が非常に多かった欧州に比べて、東京では緊急事態宣言下でも、罰則付きの厳格なロック・ダウンが実施されることはありませんでした。もともと清潔好きの国民性や日常的にマスクをつける習慣などが影響したのかもしれませんが、とにかくこれはとても幸運なことです。
ただし、自宅からほとんど出られない厳格な政策が取られなかったということは、個人によって解釈にも行動にも幅があるということです。一般的には、欧州の教育は自分で考えさせ、日本の教育は規則や解答を縛るというイメージがありましたが、パンデミック下の社会では全く逆の様相をしていたということです。
コロナを言い訳に関係をはっきりさせない男も
カップルによってはむしろリモートワークや旅行のキャンセルなどでより一緒にいる時間が長くなり、よくも悪くも濃密な関係になった場合もあれば、会うこと自体を自粛してそれぞれが別の場所で過ごしていた場合もあったでしょうし、カップル同士はそれぞれ個性が現れました。ただ、カップル内でも意見の齟齬が当然あるわけで、それが冒頭に挙げたように余計な不安や不満を生み出している場合もあり、単に自粛の認識に差があるだけなのに「もう会いたくないのかも」と心配になったり、逆に普段なら「もう会いたくない」という露骨なメッセージが暗に伝えられるような表現を選んでも、「ただ真面目に自粛してるだけかも」と相手の無駄にオプティミスティックな判断を生んでいたという知人の笑い話もありました。お店がやっていないから、身持ちの硬そうな相手を気軽に自宅に招待できるようになったという狼タイプの人もいましたが。
いずれにせよ、自粛期間は、カップルの本気度や相性を図る試金石のような一面がありました。離れてみると、実際はそんなに好きじゃなかったかも、と自分の気持ちの点検もできるからです。
さて仕事や大人数が集まるイベントにはまだ大きな制約があっても、緊急事態宣言が解除され、ちょっとした外出や交流の自由度が増しました。「コロナを言い訳に、ちょっと面倒臭くなってきた彼女を放置しよう」とか、「コロナを言い訳に、決めかねてる男二人両方とメールだけしておこう」とかいう言い訳はたちにくくなります。
しかし急速に広がった新型肺炎への恐怖や警戒がまだまだ人の中に残っている状態では、やはり濃厚な接触を前提としたセックスやそれを含む恋愛について、個人によっての差があるように思います。
危機に直面した時、気になる相手のどんな一面が見えた?
例えば人によっては、出会いからセックスまでの時間を今まで以上に確保したいと考える人もいるでしょうし、セックスの相手は今後は本当に必要な人1人に絞ろうと思った人もいるでしょうし、自粛期間に溜まった性欲をそこかしこでぶつけ合いたいという人もいそうだし、STD(性感染症)だけでなくコロナ感染の危険を感じてより一層恋人の浮気や風俗通いに厳しくなる人もいるかもしれない。そして友人同士であれば、自分の考えを言葉にしてスタンスを示せば簡単に解決できる問題も、恋人同士や恋人未満の男女であると、不本意なメッセージを送ってしまったり、変な邪推を呼んでしまったりすることも問題をより複雑にします。
ただ逆に言えば、よく恋人選びなどで「いざとなったら私を捨てて逃げそう」だとか、「不慮の事態に弱そう」だとか想像して相手を見極めるような事態に、今私たちは実際に立っているわけですから、今自分が見極めている、あるいは一応恋人として付き合っている相手が、ピンチをどういうスタンスで切り抜けるのか、危機に直面した時どんな一面が見えるのか、恐怖とどう立ち向かいどんな判断をするのか、といった、普段は予測しかできず、実際に不測の事態になったときに意外な一面として立ち現れるものが、最初から立ち現れてくれるというラッキーもあります。
カップルはパートナーの問題点を洗い出すチャンス
どんな付き合い方をしていくか、という点に絞っても、「意見が割れやすい」というこの事態は、平時であれば2年や3年かけて探り合って妥協しあって見極めていくことが、短縮される時だと言えます。付き合い始めは週に3回コンスタントに会っていたカップルが、徐々に片方は週に一回くらいを希望するようになり、もう片方はむしろ一緒に住むくらい希望するようになる、というような意見の齟齬は恋愛につきものですが、人によっては引き続き人との濃厚接触を避けたい、というこの時期は、話し合いなしにはカップルの運営自体が困難であるため、早めにお互いの優先順位や譲れない条件などが洗い出せるわけです。
それから、社会常識として人と人との距離が一定以上開けらている状況下では、スキンシップによる間違ったシグナルに惑わされないという副次的な幸運もあります。特に日本ではもともとそれほどハグやキスの文化がないため、キスされてドキドキしているだけの状態を恋と呼んでみる人もいれば、セックスしたらハマった、酔って抱き抱えられてキュンとした、とちょっとしたスキンシップによる間違った恋シグナルが少女漫画のように街中に溢れています。人が距離を取ろうとする時代なら、スキンシップを取るのはそれなりに踏み込んだ間柄に限られるでしょうから、そのようなシグナルでいちいち勘違いが巻き起こる確率は減りそうです。無駄にスキンシップが多く、それによって男を惑わしている小悪魔にとってはやりにくいでしょうけど。
社会性と思想の擦り合わせをしてみよう
そして何より、このようにみんなの話題が一つのイシューに集中する時というのは、支持政党やもっと広い思想、宗教観などが如実に現れる時でもあります。経済的な苦境になると、弱者に目がむく人もいれば、自分の財布に目が向く人もいれば、政権批判に目が向く人もいます。普段は立派なことを言っているようでも、実際の危機ではより困難が大きい人などお構いなしで自分のことばかり心配している、何ていうことが、付き合いの浅いうちから垣間見れるのは、幸運なことです。引き続き不確定なソーシャル・ディスタンスの時代に、それは第一の利点と言えるかもしれません。
いずれにせよ、無駄なスキンシップでモテている人や、普段は立派なことを言って何となくいい人ぶっている人、付き合って数ヶ月で本性を出し始める人などと、慎重に長い時間をかけて見極め期間を消化し、やっぱり間違いの恋だった、と判明するまでの時間が極端に短縮されるのはこの時代の恋の特徴かもしれません。もちろん、そのハラハラした見極め期間こそが恋愛の醍醐味でもあるわけで、最初から相手の様々な情報を引き出し、セックスまでに見極めるというのはともすれば結婚相談所みたいで味気ないと感じられるかもしれません。
でも平坦な日常では最も不確定なものである恋が、不確定な時代にはもう少し骨太で確実なものとして希求されるのは、ある意味自然と言えるし、幻滅までのスピードが速いということは、より回転早くいろんな人とデートするきっかけが増えるとも言えるので、戸惑いながらもこの平時とは違った恋の醍醐味を楽しんでください。