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1949年、4人の養子とともに。左からクリスティーナ、クリストファー、双子のシンディとキャシー。カメラの前では理想の家族だった。

Photo: Getty Images

1977年5月10日、ハリウッドの黄金期を象徴する女優、ジョーン・クロフォードがこの世を去った。死因は心臓麻痺、死亡年齢は69歳と73歳の2つの説がある。1925年から1970年まで80本以上の映画に出演した大スターの死は一時代の終焉であり、アメリカ映画史に残る伝説としてその名は永遠に語り継がれる……はずだった。それから2年もたたないうちに、彼女の私生活における実像を暴くスキャンダルが巻き起こるまでは。

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娘クリスティーナの髪を結うジョーン・クロフォード。極度の潔癖症で、客が座る家具にはすべて透明のビニールのカバーがかかっていたという。

母の遺体に別れを告げるとき、長女のクリスティーナは一滴も涙を流さなかった。翌1978年の秋、彼女は『最愛のマミー』という回想録を発表する。260ページにわたって、暴力的に子供たちを虐待するアルコール依存症の母ジョーンを告発した、驚くべき内容だった。本は書店に山積みされ、1981年に映画化されてベストセラーとなる。
 

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ジョーンを演じたのは、皮肉なことに、生前ジョーンが自分を演じられるただひとりの女優と名指していたフェイ・ダナウェイだった。伝記映画がこのようなシナリオで実現すると、果たして彼女は想像していただろうか?

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誕生日パーティもピクニックもすべて「よき母、よき女性、よき女優」のイメージを撮らせるために開催。実は自称“リア充主婦”がインスタを撮るためにキャラ弁をつくるのとやっていることは変わらない。

クリスティーナが回想録で描き出すジョーンは、2つの顔をもった恐るべき母親だ。彼女は子供たちの誕生日やクリスマスには盛大なパーティを開き、カメラマンを呼び寄せて写真を撮らせた。にこやかで愛情深い表情は、取材陣が帰ると一変する。山と積まれたプレゼントは子供たちの手には渡らず、チャリティに出品されたり、次回のプレゼントとして使い回されたりした。だがお礼のカードはプレゼントの数だけ書かされ、ジョーンはそれを自分の手で編集して記者に渡していた。

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恐ろしいことに今現在流行中の母娘のペアルックを、毒母のクロフォードは1940年代で実行している。

それだけではない。酔ったジョーンは夜中にしばしば子供たちをたたき起こし、掃除の仕方がなってないと何時間も床を磨かせた。あるとき母親の逆鱗に触れたクリスティーナはお気に入りのドレスを引き裂かれ、続く一週間そのぼろぼろの残骸を着るよう強制された。生焼けの肉を残したときは、数日間食事を与えられなかった。長男のクリストファーは夢遊病を防止するという理由で毎晩ベッドに拘束されていた。あらゆることが母の怒りのトリガーとなった。

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映画『愛と憎しみの伝説』には、娘が針金のハンガーに服を吊るしているのを見て逆上し、ハンガーで殴りつける場面がある。「母が私を愛していないと知ったのは13歳のときでした」とクリスティーナは語る。「ある日、母は私を床に押し倒し、首を絞めたのです。目を見て、本気で殺すつもりだとわかりました。幸い、誰かが部屋に入ってきて、私は死なずに済んだのです」。ウォルト・ディズニーが『白雪姫』の継母の魔女をジョーンを念頭に造形したのもうなずける。

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踊り子だった自分の過去を一生恥じ、演技力が認められていたにも関わらず他人の悪口に過敏に反応し、生涯私生活の演出に血道をあげた。

ジョーンは流産を繰り返したため不妊になっていた。なのに、何もかも手に入れた完璧な女優のイメージに固執した彼女は、どうしても子供が欲しかった。折しもMGMとの契約が切れ、キャリアも下り坂になり始めていた。そこで1939年生まれのクリスティーナと1943年生まれのクリストファー、さらに双子のキャシーとシンディ、計4人が養子に迎えられた。彼らは落ち目の人気を回復するためのアクセサリーだった。プライバシーを重視したグレタ・ガルボやマレーネ・ディートリヒといった同時代の女優とは違って、ジョーンは私生活もPRの材料に使ったのだ。「母が欲しかったのは服を着せて見せびらかすペットで、感情をもった人間ではなかったんです」と娘は2008年に行われたインタビューで証言している。

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『何がジェーンに起こったか?』より。才能ある女優への嫉妬は激しかった。特に演技派のベティ・デイヴィスとは犬猿の仲で、この作品で共演した際は、スタジオ側が彼女たちの喧嘩を煽ることで、宣伝に利用した。

娘の暴露本に抗議した友人たちは「クリスティーナは遺産がもらえなかったせいであんな本を書いたのだ」と指摘した。確かに、ジョーンは遺言で長女と長男から遺産相続の資格を剥奪し、双子の姉妹にだけ100万ドル以上を遺した。「遺産がもらえない理由はふたりが知っている」という言葉とともに。
 

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エミー賞で話題を呼び、日本でもスターチャンネルで放映中のドラマ「フュード/確執」では、ベティとの闘いと同時に、当時からハリウッドが病理として抱えていた男たちによる女優の性的搾取や、ベティと娘との確執も描いている。

女優の死後40年を経た現在、密室での出来事を立証するのは難しい。だが虐待を目撃した友人や知人もおり、ジョーンの秘書も本の内容を事実と認めている。クリスティーナは存命だが、生涯独身で通した。「結婚したいとか子供が欲しいと思ったことは一度もありません。まったく後悔していないわ」

Original Text: CATHERINE ROBIN Text: IZUMI MATSUURA

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エル・ジャポン12月号

あの女優がDV加害者だった!? 12月号『エル・ジャポン』ではジョーン・クロフォードほか、ブリジット・バルドー、マレーネ・ディートリヒといった“毒母女優”の生々しい不都合な真実を掲載。


金曜日の毒母たちへvol.1―――ニコ、息子を薬漬けにした60年代アイコン