アスリートが成功をおさめるには、優れたコーチとの出会いが必須と言われている。その絆は親子以上ともいわれ、ときに不健全ともいわれる行き過ぎた関係性も指摘される。
ますますスポーツに目が向く五輪イヤーの今年は、そんな「アスリート×コーチ」の独特な関係性、なかでも“毒コーチ”といわれ世間を騒がせた事例を、気鋭の精神科医・木村好珠氏が考察。現代の“良きコーチ”像を導き出します。

【解説】
木村好珠(きむら・このみ)医師: 精神科医、産業医、健康スポーツ医 。常勤で臨床の現場に立ちながら、海外のサッカーチームのコーチとも交流しながら東京パラリンピック ブラインドサッカー日本代表やReal Madrid  Foundation Football Academy のメンタルアドバイザーを務め、愛着形成などの精神構造研究にも取り組んでいる。
twitter @konomikimura

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【Index】

  1. 選手を使い捨てる毒コーチ
  2. 不正に手を出す毒監督
  3. 選手に性的暴行をする毒コーチ
  4. 危険行為をさせる毒監督


【Case1】 選手を使い捨てる毒コーチ

ロシアのフィギュアスケート・コーチ、エテリ・トゥトベリーゼの教え子たちはある一定の年齢を超え、体型の変化が出てくる前にメダルを取らせてあとは放置していると批判されている。中には摂食障害を患い、若くして引退する選手も。ソチ五輪金メダリスト、ユリア・リプニツカヤ選手はたった19歳で引退してしまい、同大会銀メダリストのエフゲニア・メドヴェージェワ選手はカナダに拠点を移すと、本国では「裏切者」扱いされた。
 
(2020.03.16訂正:平昌→ソチ)

Figure Skating - Winter Olympics Day 12
Matthew Stockman//Getty Images

分析: 一定の年齢を超えての放置は度合いにもよりますし、逆にいいこともあります。アスリートが小さいうち、脳が発達している時期に自己肯定する思考回路やポジティブな考え方を教え、目的や練習法を自分で考えることを教えていれば、ある程度の年齢で放置することは間違っていないと思います。

ただそれまでが「~しなさい」「~してはダメ」といった命令形の指導だった場合、選手は「見捨てられた」と思ってしまうでしょう。アスリートとコーチとの関係に問題が起きたとき、多くの場合根本にあるのは“クローズした関係性”。これがダメ。コーチングが依存を育ててしまう。とくにコーチと選手が1対1になるスポーツは陥りがちです。

人間には「所属欲求」があります。学校・練習場・家と所属する場所が少ない人は、ひとつにかかる比重が多くなってしまうので、当然コーチへの「所属欲求」も高くなります。ここが罠で、所属への依存度が高いほど指導は届きやすいのですが、反比例して自己肯定感は低くなります。他の世界に触れることも少ないうえ、自分でコーチを指名する場合はある程度リスペクトがあって選択しているので余計に、「私にはこのコーチしかいない」という思考に陥りがち。そこで放置されたら見捨てられたと思って辞めてしまうかもしれません。

闘うのは選手です。本来コーチングとは自主性を伸ばすこと。そうでないと指導時間が少なくなった途端に動けなくなってしまいます。コーチの操り人形状態に育つ。そうなると自分の身体さえも選手のものではなくなります。その上目の前で大人の身体になった選手たちがどんどん離れていくのを目にしていたら、若い選手たちは「自分も大きくなったら捨てられる」と不安を抱えます。そうしたら摂食障害になりますよね。摂食障害はスポーツにおいても大きな問題です。

体重制限のある競技や採点競技など体型に関する指導がどうしても必要になる場合は疑問で訊ねることです。たとえば「この競技で今の体型だとどう思う?」などと訊ね、アスリート自身から「ジャンプが重くなっているから、もう少し落とした方がいいと思う」といった自分の意見を引き出し、その必要性を考えさせることが大切です。「痩せなさい」と言われて痩せたらそれは自分のためでなく、コーチのためです。コーチに怒られないようにするための行動にすぎません。命令は回避行動を生むだけです。


【Case2】 不正に手を出す毒監督

レッドソックスのアレックス・コーラ監督がアストロズのベンチコーチ時代の2017年、サインを映像機器を使用し盗み見ていたことが発覚。退任。2019年11月に就任したばかりのメッツのカルロス・ベルトラン監督もサイン盗み見で「解任」された。

Baltimore Orioles v. Houston Astros
Cooper Neill//Getty Images
カルロス・ベルトラン監督
Oakland Athletics v Boston Red Sox
Billie Weiss/Boston Red Sox//Getty Images
(右)アレックス・コーラ

分析: 教育でも企業でも子育てでもなんでもそうですが、結果だけを追い求める指導者にこういう行為はありがちです。過程が見えない、つまりプロセスを判断できない人がいて、結果でしか他人を褒めることができないのです。こういうコーチの問題は、チャレンジして失敗することを恐れるため、選手は次第にチームが勝利することよりも、自分が失敗しないことを優先するようになる。どんどん悪い方向に行きます。

この監督自身が「結果がすべて」と指導されてきた、もしくは上の人たちから結果だけで左右されてきたのではないでしょうか。人を判断する要素が結果しか見えない人は、いずれ結果さえよければ何をしてもいいとなります。
 
勝っても負けても、よくできた部分とできなかった部分の両方
を選手は感じてるはずです。そこを振り返らせることが健全です。


【Case 3】 選手に性的暴行をする毒コーチ

今年、サラ・アビトボルは現役時代にフランスのフィギュア・スケート・コーチ、ジャック・モロゼクに14~18歳の間に度重なるわいせつ行為を受けたことを告発。モロゼクが記者会見で見せた悪びれることのない態度も話題になった。韓国ではスケート・ショートトラックの金メダリスト、シム・ソクヒ選手も小学1年の頃から付いていたチョ・ジェボムコーチから高校生の時から4年もの間常習的に性的暴行を受けていたと明かした。このコーチは叱責や暴行も人前で行っており、五輪選手村でも有名だったと報道されている。

World Skating Championship On March 29Th, 2000 In Nice, France.
Patrick AVENTURIER//Getty Images
サラ・アビトボル
World Short track Speed Skating Championships - Rotterdam Day 1
Oliver Hardt - International Skating Union//Getty Images
シム・ソクヒ選手

分析: 要因には二つの可能性が考えられます。

1つは関係がクローズ(閉ざされた環境)になったことで、誰かに話したらコーチに見捨てられてしまうという「見捨てられ不安」があった可能性。こうしてわいせつ行為をされていても他の人に話せなくなります。

2つ目は共依存の可能性。関係がクローズしていくとコーチが自分と選手との存在に線引きができなくなり、エスカレートすることも。コーチ側が選手に依存しているのです。選手にすべてをさらけ出してほしいし、自分もそうすることでお互いに解り合えると思っているコーチがいます。そういった強度の依存関係には普通ならそこに含まれるはずのない性行為が介在してしまうこともある。「選手のためなら何でもしてあげたい」その「なんでも」が性行為だった“だけ”という可能性もあり得ます。そのとき、暴力は“善意”なんです。

(アビトボル選手の元コーチが「虐待ではなかった」と本気で言っているよう態度であったことは)それが本心だからです。最初は悪意があったかもしれません。ですが途中から肯定された可能性は大いにあります。最初は関係性を利用した性行為だったとしても、その後に成績が出たりすると「あの性行為のおかげだ」とすり替え、さらにエスカレート。そのうちに「この子のためを思ってしているんだ」と自分を洗脳していったのかもしれません。脳は思っている以上に単純で、簡単に騙せるんです。自分の都合の悪いことは忘れ、都合のいい記憶に簡単にすり替える。それは(被害者である)選手側にも言えます。選手も他のコミュニティの常識を知らなければ被害を受けてもそれを被害だと認識せず、指導だと自分を洗脳する。だからこそコーチングの場にはコーチの行動をチェックする第三者が必要だと思います。

スポーツの成績はコーチのおかげなのか選手本来の力なのか、最終的にはわかりません。とんでもない目利きのコーチなら、指導がひどくても成績は出てしまう。そうなるとひどい指導法なのに、それがよかったのだとますます肯定されます。上下関係が強固に構築されていると告発する選手もなかなか出てこない。悪循環です。


【Case4】 危険行為をさせる毒監督

2018年に世間を震撼させた日本大学フェニックス反則タックル問題。障害を負わせる可能性もある危険なタックルをせざるを得ないようになるまで選手が追い詰められたとされている。傷害罪で告訴された監督とコーチは謝罪はしても「指示はしていない」と否定。忖度の問題も絡み大問題になった。

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Aflo
日本大学アメリカンフットボール部・内田正人元監督(2007年)

分析: 日本では上下関係のために起こる問題は多い。いいコーチとは何か? という問題でもあります。

チーム・スポーツの場合、誰かがトップに立たないといけません。サークル型(全員平等)ではなかなかいいチームは生まれませんから。しかし日本の文化はトップに立つ人間がいると、そこに意見を言うのがものすごく下手なんです。その代わり、言われたことを言われた通りにやるのはものすごく得意。

海外では自己主張をする文化が多いですが、日本では日常的にモノを言わずに黙って「行間を読む」ことがいいこととされます。教育の中でも、日本では「~することはダメ」「~しなさい」という命令形が「しつけ」だとする習慣になれすぎていています。小さい頃からそう教えられている受動的な子供が大学生になったところで、いきなり自分から能動的に発言や行動をすることは難しい。必要なのは命令自体に疑問を投げかけることなんです。監督だって人間です。誤りがあります。なのに疑問を持たないとどうなるか。言われた通りにやる→読み取ってそのままやる→忖度して命令されていないことまでやるようになるのは自然な流れです。指令がいいときはいいですが、悪いときはどんどん悪い方向に進んで止まりません。

精神的には考えないほうが“楽”です。責任転嫁もできますので。もちろん命令を実行する際にストレスはかかります。しかし、主従関係が構築されると服従する側にはある精神不安が働きます。「見捨てられ不安」です。言うことを聞かずに見捨てられる恐怖のほうが、実行するストレスに勝ってしまうのです。そういう人には自己肯定感が低い人が多い。アスリートだからメンタルが強いとか肯定感が強いとかいうことはまったくありません。アスリートでも自己肯定感が低い人は多いです。なぜなら命令されることに慣れすぎている日本のスポーツ文化では、ピア・プレッシャー(同調圧力)が働き、自己肯定感が高く能力が高い人がはじかれている可能性は大いにあります。だから(サッカーの)本田圭祐選手もちょっと“変わり者”のような扱いをされていますよね。能力が高くてアウトプットが上手な人ですから。

命令形のコーチのところでは自己肯定感の低い人が集まります。指導者がアスリートの自主性の否定から始まる指導方法からどう脱却するかに将来がかかっていると思います。

>>次回はアスリートと毒親について検証